「親指の爪が肉ごと取れた」谷津嘉章さん、糖尿病で右足切断したいまもリングに「左足はまだあるからね!」
「右足を失って、ため息ばかりついていました」 2019年、糖尿病による壊死が進み、谷津嘉章さんは右ヒザ下を切断した。62歳だった。 【写真あり】義足でも動きは軽快! 「25歳で入った新日本プロレスの歓迎会では、焼酎の一升瓶を6本、一人で空けた。体を作らなきゃいけなかったから、食事は一日平均6食で、4000~5000kcalは食べていたよ」 谷津さんは35歳のとき、知人の医者に「お前、毎日のように俺と酒を飲んでいるんだから、たまには検査しろ」と言われて、つき合いで病院へ行った。 「これが人生初の健康診断で、 “糖尿病予備軍” だと注意を受けた。でも、検査の後はその先生が『さぁ、飲みに行くぞ!』って。そりゃ危機感なんてないですよ。その後も、彼は『40歳になったら代謝が悪くなってくるから気をつけなさい』と言うんだけど、右から左に抜けていた(笑)」 5年後、糖尿病を発症した。母の家系も罹患者が多いと聞いてはいた。だが、医者に食事制限や有酸素運動をすすめられても、他人事だった。 「処方された薬をちゃんと飲んでいたし、自覚症状が何もなかった。体調は悪くなかったからね」 異変を感じたのは、2018年のことだった。 「網膜症の症状が始まって、冷え性みたいに足の感覚もなくなってきました。足の爪を切ろうとして皮膚を切ってしまったら、それが悪化していった。これは糖尿病の文献にあるとおりだ! と思って。それから気を引き締めたけど、もう遅かった」 右足は腫れて変色し、部屋に異臭がたちこめたという。 「壊疽(えそ)を起こしていたんです。引退はしていたけれど、頼まれてリングに上がることはありました。それで、四国巡業中に親指の爪が肉ごと取れちゃったんです。整形外科で診てもらったら『下腿切断です。早く決断してください!』と強い言い方をされて、翌日には切断することになりました」 以降、白米を玄米に替え、果物を食べなくなり、お酒は蒸留酒をコップ2杯にした。また、リンゴ酢を飲むことで数値が安定してきたという。 「糖尿病は、治ることはなくても、努力すれば数値を一定の範囲内に留めることはできる。働き盛りの人は、なかなか酒の席を断われないと思うけど、自身の数値の限界を理解して、行動したほうがいい。右足を切断すると3年以内に70%の確率で左足も切断するらしいんだけど、俺は5年たって、まだあるよ」 2023年に「日本障がい者レスリング連盟」を発足させた谷津さんは、今もリングに立っている。 現在、5人に1人が糖尿病、糖尿病予備軍とされている日本人。五反田内科糖尿病クリニックの伊藤静夫院長に、注意すべき6カ条を聞いた。 (1)太っている人は痩せるだけで、リスクは減少します。 (2)スポーツドリンクや炭酸飲料、果汁100%のオレンジジュースなど糖分の溶けた液体は絶対にNGです。 (3)3食の食事以外の食べ物、菓子などに手を出さないようにしましょう。 (4)食事のあとに散歩するだけでも効果は大きいです。 (5)有酸素運動を週3回以上、計150分以上おこなってカロリーを消費することで、血糖値を抑える効果があります。 (6)夕食後、3時間以上空けてから寝るようにしましょう。膵臓も休む時間が必要です。 食後に眠くなったり、20代のころより体重が5kg以上増えている人は要注意。まずは血液検査をやってみよう。糖尿病は、自覚症状が出たときにはかなり進行しているもの。もし似た自覚症状があれば、一刻も早く病院へ! やつよしあき 1956年生まれ 群馬県出身 1976年、レスリングでモントリオール五輪に出場(8位)。1980年、新日本プロレスに入団。その後、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWSなどで活躍。2010年に一度は現役を引退するが、現在もリングに立ち続けている 写真・木村哲夫
週刊FLASH 2024年11月5日号