【対談・近藤真彦×三原じゅん子】“金八”時代を振り返る「生徒役の中でもずば抜けて美人で“あのにおい”にやられてしまった」
近藤:そう! ぼくは神奈川の田舎から出てきたばかリで、初めての本読みでドキドキしてたら、隣からものすごくいいにおいがしたの! 誰だろ?と思ってたら、本読みが始まって、その子が「麗子」って役の人だとわかって、台本見たら「三原順子」って。「そうか~三原順子っていうのか~」って思って。 三原:そうだっけ?(照れながら首をかしげる) 近藤:香水なのかシャンプーなのか。とにかく高級な香りで。「こんないいにおいがする中学生は、オレの地元にはいない!」って思ってさ~。都会的で洗練されているというか、ピンクか紫の長めのカーディガンを着ていたのまで覚えてる。“金八”の生徒役の中でもずば抜けて美人だったから、ぼくはあのにおいにやられてしまった(笑い)。 三原:やめてよ~(笑い)。清はみんなのマスコット的な感じで、同じ年なんだけど、かわいくて構いたくなる感じだったよね。 近藤:そうそう、あの頃はお互い役名で呼んでいたよね。ぼくは星野清役だったから「キヨシ」。三原さんは「レイコ」って。“金八”って、本当の学校のクラスって感じだったよね。 三原:そう。本当の中学校のクラスとまったく同じ。グループもあったよね。いわゆる真面目なグループ、やんちゃなグループ、おとなしいグループとかに分かれてて。 近藤:ぼくたちはちょっと真面目じゃない系。でも、思いっきりはずれてはいない感じだったよね。あとさ、プライベートでそのグループのみんなと修学旅行みたいにバスで出かけたのを覚えている? 三原:行ったね~。 近藤:確か脚本家の小山内(美江子)先生のおうちだったかな。
2人で同じ高校を受験 それが思わぬ騒動に
三原:遠足みたいで楽しかったね。“金八”のときは実生活でも受験があって、私たち一緒に某高校に受験しに行ったんだよね。ドラマの撮影の合間に。そうしたら大騒ぎになって……。 近藤:ちょうどあのときは“金八”で注目されていたから、役名で「清~」とか言われてね。グラウンドにまで人が入っちゃってさ。 三原:大変だったよね、試験会場から帰されちゃったんですよ、私たち。帰り道に「どうする?」って話し合って。「違うところ受けるしかないね」ということで、明大付属中野高校を2人で受けたんです。 近藤:某高校は都立だったし、ほかの受験生にまで迷惑をかけちゃったからね。 ──当時、2人の関係はどうだったんですか? 近藤:本当に友達って感じ。たとえば、ぼくに好きな子がいたら、三原さんに「ちょっとあの子にぼくのことどう思っているか聞いてみてよ」って頼んで聞いてきてもらい、三原さんに好きな人がいたら、ぼくが「彼女のことをどう思う?」って聞くような感じかな? 三原:そう。仲よかったけど、ここ(近藤との間)には何もない! 近藤:それはちょっと残念なんだけどなあ(笑い)。 (第2回につづく)
【プロフィール】 近藤真彦/1964年神奈川県生まれ。歌手・実業家。現在、全国ツアー「Masahiko Kondo さよならなんて言えないよ2024~パワーあげます 貰います~」のかたわら、「SUPER GT」などレースでも活躍している。 三原じゅん子/1964年、東京都生まれ。現在、参議院議員として、女性の出産、子育てから介護世代のための政策に奔走する。2024年10月「内閣府特命担当大臣」に就任。 取材・文/廉屋友美乃 撮影/竹崎恵子 ※女性セブン2024年11月7日号
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