落合博満43歳「野村さんはかわいそう」発言…消えた“落合ヤクルト入団”の真相「ヤクルトは車すら用意しなかった」43歳に6億円破格オファー、日本ハム落合が誕生するまで
40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。 あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が3刷重版と売れ行き好調だ。 1996年オフ、43歳になる落合博満は巨人を電撃退団する。「落合ヤクルト入り」スポーツ新聞は一斉に報道した。「巨人軍vs.落合博満」その後の物語。【全2回の後編/前編も公開中】 【貴重写真】「見たことある?」ヤクルト入団交渉で談笑する落合・野村&当時1億5000万円と報じられた豪邸で信子夫人と…この記事の写真をみる(25枚超) ◆◆◆
「2年6億円オファー」の衝撃
<秒読み段階と思われた「ヤクルト・落合博満」の誕生。1996年12月4日に行なわれた日本ハムと落合との初交渉で一変する。> なんと、この席上において、日本ハムは「2年総額6億円」という破格の複数年契約を提示するのだ。オーナーから役員まで元・三冠王獲得に向けて意思統一がされ、まさに社をあげての一大プロジェクトといった雰囲気だった。なお、当時の日本ハムのチーム内最高年俸は、投手が金石昭人の1億5000万円、野手は田中幸雄の1億3000万円である。まさに駆け引きなしに、いきなり最大限の誠意を42歳の大打者に提示した恰好になった。 さらに、上田監督は「巨人への復讐」ではなく、若手選手たちへのお手本となる「生きた教材」として受け入れることを熱く語った。この日本ハム側の熱意に落合も、「清原はここ何年間、パで3割打ってないんだろ。来年オレが3割以上打てば、清原に勝ったことになるさ」(日刊スポーツ1996年12月5日)とセ・リーグ志向だけではないことを示唆した。 「俺が考えていたことは、1回目の交渉で、これ以上でもこれ以下でもないという掛け値なしの条件を出してくれ。そうすれば、俺はすぐに結論を出すよ、ということだったんだよ。俺は『自分からは条件は出さない』とも言ったでしょう。あれは、俺は条件の駆け引きをするつもりがないですよ、という意味だったんだよ」(不敗人生 43歳からの挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)
【関連記事】
- 【前編《「落合はヤクルト」発言》編を読む】「落合博満42歳、巨人退団ヤクルト入り」報道が過熱、野村克也監督「もう落合はヤクルトの一員」発言まで…なぜ“ヤクルト落合”は消えたのか?
- 【貴重写真】「見たことある?」ヤクルト入団交渉で談笑する落合・野村&当時1億5000万円と報じられた豪邸で信子夫人と…この記事の写真をみる(25枚超)
- 【《落合vs.清原》編を読む】清原和博「ドラフトのことを謝罪してください」遅刻してきた巨人側は笑った「キミが来るなら、落合博満を切るんだよ」…FA移籍「落合vs清原」騒動
- 【《松井との不仲説》編を読む】落合博満42歳が苦言「巨人の若手は練習をやらされてるよ」落合vs松井の不仲説「正直に言います…」21歳松井秀喜が落合に宣戦布告した日
- 【話題】「お前、2回目だろっ!」巨人・落合博満40歳が死球に激怒、ヘルメットを叩きつけた日…原辰徳36歳は落合をライバル視「あの人より、先には辞めない」