パリオリンピック開会式「謎演出」を《世界一のブランド》ルーヴル美術館の戦略から読み解き直す
大ひんしゅく《最後の晩餐》演出のマニアックな擁護
このようにいろいろと突っ込みどころが満載だった開会式だが、「引用」されてネットをざわつかせた美術作品の筆頭といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》だろう。 LGBT活動家でクラブDJとして知られるバルバラ・ブチを中心とした30~40名のパフォーマーが《最後の晩餐》をパロディにしてキリスト教を冒涜したとして、開会式後、カトリック教会司教協議会やら、北米の政治家たちやらからクレームが付き、ちょっとした騒動となった。 開会式のアート・ディレクターであるトマ・ジョリは、後日、「多様性」を強調するために、オリンポスの神々の祝祭を描くアイデアのもとに構成したものであり、《最後の晩餐》のパロディはないと釈明した。すると7月30日には、美術雑誌『ボザール』のインターネット・ホームページが、「オリンピック開会式の芸術的引用元はなにか?」と題する記事を発表し、主催者を援護した(BeauxArts, Joséphine Bindé, « Quelles sont les références artistiques de la cérémonie d’ouverture des JO ? », 29/07/2024)。件のパフォーマンスを《最後の晩餐》のパロディと見るのは浅薄で、じつは、ヤン・ファン・ベイレルトの《神々の祝祭》(1635-40年、ディジョン、マニャン美術館所蔵)というマニアックな作品を典拠にしているのですよ、と。 この『ボザール』の記事は、開会式でもうひとつ炎上した斬首されたマリー・アントワネットの演出についても引用元を挙げて擁護し、事態の収拾を図ろうとしている。比較対象に挙げられたのは、キリスト教迫害の時代に斬首された殉教者(聖人)を表現した彫像(トゥルーズ、オギュスタン美術館所蔵)である。パリのコンシエジュリー(牢獄)を舞台に提示されたマリーの斬首のイメージは宗教的殉教に重ねられ、血塗られた革命を代償として生れたフランス共和国の歴史が表現されているというのである。たしかに、開会式のド派手なスペクタクルは、235年前の大革命期の祝祭をモデルとするものであったのかもしれない。 とはいえ、地方美術館にある知られざる彫像や絵画《神々の祝祭》を主催者が知っていたとは到底思えない。しかし、オリンピックのイベントに、ルーヴル美術館や《モナリザ》やマニアックな美術作品が登場し、あれやこれやと喧々諤々の美術談義が交わされるのは、さすが文化国家フランスにして、美術の都パリ、といったところであろうか。美術に関わる者としては羨ましく感じもするし、また、美術館は政治や商業主義の道具ではない! と憤慨を覚えもする。愛憎相半ばする開会式であった。 いずれにしても、この開会式というイベントを通じて、「美術立国フランス」そして「世界一の美術館」たるルーヴルのイメージは益々高まり、世界中に拡散していった。 この開会式がなんだかんだ言って概ね好意的に受け取られたのは、セーヌ川にエッフェル塔、そしてルーヴル美術館という、心の中で「もうとっくに出会ってた」愛すべき風景のなかで行われたからではなかろうか(その点については別の記事で論じた)。 考えてみれば、国歌ラ・マルセイエーズから、フィナーレの「愛の賛歌」まで、きわめてフランス主義的ともいえる内容でありながら、その点が批判されることがなかったのも、同じ理由からだろう。あの大雨の中で敢行された突っ込みどころ満載の開会式が、フランスではないどこか別の国でなされたものであったとしたら、あるいは、もし、他の国が同じように真似をしたとしたら、きっと非難轟轟、ブーイングの嵐となったに違いない。 (後篇「「あこがれのパリ」イメージはあの超人気アニメ作品にも大きな影響を及ぼしていた!」へ続く)
藤原 貞朗(茨城大学教授)