『光る君へ』伊周・隆家配流と定子出家で「道長の権力」が増大。それでもまだ残る<伊周兄弟逆転>のシナリオとは…
◆伊周、大宰府へ 愛宕山(あたごやま)山麓まで逃避行していた伊周は、再び5月4日に出家姿で二条北宮に戻った。そこで母を連れて配所に下りたいと天皇に奏上したが、許されなかった。 その後、5月15日、伊周と隆家は病を理由に、それぞれ播磨と但馬にとどめられた。 だが、10月8日になって、伊周が病の母に会うために、密かに入京しているという密告がなされた。検非違使が調べてみると、たしかに定子のもとにいることがわかった。 そして、今度こそ大宰府に流されることになり、12月8日に現地に到着した。
◆一条天皇は道長のいいなりの人物ではなかった このように見てくると、伊周と隆家の問題に積極的に対処しているのは、一貫して一条天皇である。道長の動きはほとんど見えない。一条天皇の政治的主導権は意外に発揮されているのである。 しかも、天皇の定子に対する寵愛は深いようで、この時期には懐妊しており、この年末にも生まれてくる子が皇子である可能性もある。その場合、天皇が従来の対応を大きく変えるかもしれない。 伊周兄弟が完全に失脚したとは言い切れず、次代の天皇の外戚として復活するかもしれない。藤原氏の内部での外戚をめぐる争いは、道長の娘彰子がまだ幼いこともあって、予断を許さないところがあった。 一条天皇がけっして外戚の道長のいいなりの人物ではないゆえに、道長の立場は盤石ではないのである。 *本稿は、『公卿会議―論戦する宮廷貴族たち』の一部を再編集したものです。
美川圭
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