郵便局が「〒」のマークで表されるのはなぜ?現在のマークに至るまでの歴史とは
◆封筒マーク 地形図は時代の進展とともに表現内容を充実させていったが、「明治24年地形図図式」では逓信省マークの〒記号を初めて採用した。 厳密には「郵便電信局」を表すが、これは郵便と電信の双方を扱う局である。これに対して郵便のみを扱う「郵便局」は封筒マークとした。 こちらは現在でも国際的に認知度が高く、今も欧米の民間市街地図などに用いられているし、それより電子メールを示すアイコンとしての知名度がきわめて高い。 電信局が扱ったのは具体的には電報である。利用者は「頼信紙」に電文をカタカナで書いて電信局の窓口に提出、それが電信で相手先の最寄り局に伝えられ、カタカナで印字された紙を配達員が届ける仕組みだ。 今では電報といえば豪華な装飾を伴った祝電や弔電に特化しているが、私が20代の頃木賃アパートに住んでいた当初、電話を引いていなかったので友人から急ぎの用で電報を受け取ったことがあった。 私としてはこれが最初でおそらく最後の「普通の電報」の経験だが、電話が一般化する前のもっと昔には日常風景だったのである。
◆電信の地位低下 地形図の記号で電信の有無をあえて区別していたのは、当時は電報が打てるかどうかが重要な問題だったからだろう。 これとは別に、郵便は扱わない電信局の記号(電鍵(でんけん)―送信機の図案化)も大正6年図式まで定められていた。その後は電信が主な郵便局で打てるようになったからなのか、「電信局」の記号は廃止されている。 郵便のみを扱う局を表す「封筒型」の記号は明治42年図式で姿を消し、それまでの〒マークが郵便のみを扱う局に用いられるようになり、これを丸で囲んだマークが「郵便電信(電話)を兼る局」として定められた。 戦後もこの2つの記号は継続するが、意味は変わって「集配郵便局」と「無集配郵便局」の区別となった。 電信の地位低下を反映したのかもしれない。この区別は、記号が大幅に整理統合された昭和40年図式で廃止されるが、集配局の位置がわかると町の中心地が推定できるから、できれば復活させてほしいところである。 ついでながら、〒を丸で囲んだマークは日本独自の記号ではあるが、台湾の一部の民間市街地図ではなぜか「銀行」に用いられている。変形したとはいえ、日本統治時代の名残だろう。 さて、電信局の記号は戦後に姿を消したが電話局の記号は意外に古い。戦前はレシーバー型をした電話交換局の記号で、明治28年図式から存在する。 戦前の1万分の1地形図では電話局以外に公衆電話にも用いられた。希少性ゆえの表示だったのだろうが、もちろん戦後は記号をいちいち付けていられないほど増えたので適用されなくなる。 電話局の記号も昭和30年図式からは、同27年(1952)に発足した日本電信電話公社のマーク(Telegraph & Telephone の二つのTを図案化)に取って代わられた。 なお、同公社が民営化された翌年の昭和61年(1986)にこの記号は廃止されている。 ※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
今尾恵介