郵便局が「〒」のマークで表されるのはなぜ?現在のマークに至るまでの歴史とは
◆「丸に一引き」 日本の郵便事業は明治4年(1871)に始まったが、当初はトレードマークがなかった。それが同10年頃から大きな赤丸を赤い太線が貫く「丸に一引き」が郵便配達員の制服、制帽などに記され、これが事実上の郵便マークとなる(下のイラスト右下部を参照)。 その3年後に整備が始められた地形図の前身である2万分1迅速測図(関東地方で整備)にも早速このマークが「郵便局」に採用された。 実際の記号は手元の『地図記号のうつりかわり』(日本地図センター刊、絶版)の記号対照表に掲載されているが、実際の地図にどんな具合に描かれているのか、ためしに日本橋や銀座などを目を皿のようにして探したが、どこにも見当たらない。 諦めかけた頃にようやく「八王子」の図の横山町に見つけた。都心に郵便局がないはずはなく、「迅速」に作成した経緯も関係してか、描き漏らされた局はかなり多そうだ。 ついでながら、その後に関西を中心に整備された2万分1仮製地形図にも同じ記号が用いられている。
◆逓信省 明治18年(1885)には郵便事業を所管する逓信(ていしん)省が発足した。「逓」の字は最近ではあまり使われないが、「かわるがわる」「つぎつぎと伝え送る」といった意味がある。 逓信省の守備範囲は実に広く、郵便と電信に加えてこれらを含む交通インフラ全般ということから陸運(後に鉄道省となる鉄道作業局など)と水運、後に航空行政も所管した。 電信との関連から電気事業一般の監督業務も含まれ、その結果として鉄道や郵便など多くの職員を抱える現業部門をもつ大きな役所となっていく。 現在でいえば総務省の一部と日本郵政およびNTT、経済産業省や国土交通省の一部とJRをひっくるめたイメージだろうか。 その逓信省は発足2年後の明治20年(1887)に省のマークを決めた。同年2月8日付の官報に掲載された逓信省告示第11号には「自今(T)字形ヲ以テ本省全般ノ徽章トス」と定めている。 ところがそのわずか11日後の19日、なぜか「去ル八日告示欄内逓信省告示第十一号中(T)ハ(〒)ノ誤」と訂正したのである。 短期間で「変更」されたというのは不自然で、単なる誤植を訂正しただけに思えるが、いずれにせよ〒マークの起源として最も知られているのは逓信省の頭文字の「テ」を図案化したというものだ。 当時は「〒」の活字もなかっただろうから正しく伝わらず、結果的に誤植となったのかもしれないが、2あった〒とT(Teishin のT説あり)のうち〒が採用されたのに、実際の告示の際に不採用となったTがなぜか載ってしまったという説もある。 Tが不採用になったのは、これが「料金不足の印」として国際的に認知されていたから避けたとも言われている。