ランボルギーニと共同開発していたBMW「M1」はいまや高値安定…メディア向けの広報車が7500万円オーバーで落札されました
紆余曲折を経て誕生したM1
2024年8月15日~17日にRMサザビーズがアメリカ・モントレーで開催したオークションにおいてBMW「M1」が出品されました。生産台数447台(諸説あり)のM1ですが、シャシーナンバーから履歴をたどると11番目に誕生したモデルであることがわかりました。車両の詳細とオークション結果についてお伝えします。 【画像】プレスカーとしてアメリカに3台納車されたうちの1台! BMW「M1」を見る(全45枚)
Mシリーズ初のモデルだった
1970年代初頭、BMWでひとつのスーパースポーツ・プロジェクトが立ち上がった。それこそが「E26」の開発コードを掲げたミッドシップ車。のちに現在にまで続く「M」モデルの原点ともいえる「M1」として、1978年のパリ・サロンでデビューを飾るモデルにほかならなかった。 当時からそのスポーツ性を最大のセールスポイントとして、量産車の販売戦略を展開していたBMWにとって、そのキャラクターを最も効果的に主張できる場として活用されていたのは、当然のことながらモータースポーツの世界だった。 BMWはここに「3.0CSL」や、その進化型である「3.5CSL」などのレーシングウェポンを投入し、存在感を強くアピールしていたが、ポルシェ「911」などに代表されるライバルの脅威は、彼らにとって、決して小さなものではなかった。 その結果BMWが決断したのが、より高いレベルのモータースポーツに参戦するためのホモロゲーション・スペシャル。当時のグループ4規定への公認を目的としたE26、すなわちM1だったのである。
ランボルギーニと開発するはずだったが……
E26が開発の初期段階にある頃、BMWはそのプロジェクトにイタリアのランボルギーニを関与させることを画策していた。当時すでにV型12気筒エンジンをミッドシップする「ミウラ」を完成させ、その設計の斬新さと先進性ではあのフェラーリをも超える存在だったランボルギーニ。少量生産が前提となるスーパースポーツの開発と生産に関しては、彼らが持つさまざまなノウハウはBMWにとって、とても魅力的なものだったからだ。 じっさいにBMWはランボルギーニにM1のシャシー開発を依頼し、かのジャン・パオロ・ダラーラの意見を採り入れて鋼管スペースフレームを設計したとされる。だが結果的に、このBMWとランボルギーニの提携は、ランボルギーニの深刻な財政難を背景に解消された。その後のE26プロジェクトはBMWの完全自社開発という道を歩むことになった。
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