『ルックバック』は創り手の背中を押す傑作か? <嫉妬が怨念と化した自分>を描く覚悟と、その先の讃美歌
マンガ→アニメでの再修正に見る「創り手の並々ならぬ覚悟」
マンガ版の『ルックバック』は、公開後にある箇所が修正されている。 美大に侵入した不審者によって12人の学生が殺害され、京本もその犠牲者となってしまったシーン。当初は「自分の作品が盗作されたと思い込み、肥大化した被害妄想によって凶行に及ぶ」という犯人像が描かれていたが、修正版では「衝動的で無差別な通り魔殺人」という設定に置き換えられた。 その背景には、「統合失調症患者に対する偏見や差別の助長につながる」という批判の声があった。ポップカルチャーに詳しい精神科医の斎藤環は、作品に対して最大級の賛辞を送りつつ、 ### やむを得ないとは思うけれど通り魔の描写だけネガティブなステレオタイプ、つまりスティグマ的になっている。単行本化に際してはご配慮いただければ (斎藤環(@pentaxxx)2021年7月19日のツイート) ### とコメントしている。少年ジャンプ+編集部は熟慮の末に、修正に踏み切った。 だが本作が単行本で刊行された際には、犯人像は当初の設定に再修正され、今回のアニメ版もそれをなぞったものになっている。なぜだろうか。 『ルックバック』の犯人像は、確実に京都アニメーション放火事件から着想を得ている。京都アニメーションの第1スタジオにガソリンをまいて放火し、36人もの命を奪った犯人の動機は、「京アニに自作小説のアイデアを盗まれた」というものだった。事件の発生日が2019年7月18日で、マンガ『ルックバック』の発表日が2021年7月19日であったことにも、作者の強い意図が感じられる。京本の「京」の字も、おそらく京都アニメーション放火事件を暗示しているのだろう。 『ルックバック』は、嫉妬と才能の物語。それが最もドス黒いかたちで現れたのが、美大を襲撃する犯人だ。 彼が表象するのは、藤本タツキ自身の、そしてすべてのクリエイターたちの、<そうなっていたかもしれないもうひとりの自分>。 この作品は、「もしあのとき、藤野が京本と出会っていなかったら」という分岐宇宙的な<if>世界に潜り込んでいくが、この犯人もまた「成功することが叶わず、嫉妬が怨念と化していたら」という<if>自分なのだ。 創り手の心の奥底には、ネガティブな感情が渦巻いている。暴力的で、残酷で、醜悪な黒い塊が蠢いている。それを曝け出すことは、極めて個人的な発露であり、おそらく極めて勇気のいる行為だ。あらゆる批判覚悟で、あえてアニメ版『ルックバック』はその地平に降り立った。そこに筆者は、創り手の並々ならぬ覚悟を感じてしまう。