5000人の非行少年・少女と向き合った「虎に翼」寅子モデルの三淵嘉子。裁判官退官後に綴った想い
NHKの連続テレビ小説『虎に翼』が番組のスタート以来、放送のたびに反響を呼んできたが、ついに最終回を迎えることになった。主人公・佐田寅子(ともこ)のモデルとなっているのが、女性初の弁護士で、女性初の裁判所長となった三淵嘉子(みぶち・よしこ)である。家庭裁判所で審判を担当した少年・少女の数は、5000人を超えたという嘉子。退官直後に自身が残した原稿では、彼女がどんな思いで審判に臨んできたのか、また法律家のあるべき姿が語られていた。 【写真】多くの非行少年・少女と向き合った三淵嘉子は少年犯罪の厳罰化反対を貫いた。写真は旧・奈良監獄
■30年あまりの裁判官生活を送った嘉子 我が国において、女性初の弁護士、女性初の判事、そして、女性初の裁判所所長――。NHKの連続テレビ小説『虎に翼』のモデルとして注目された三淵嘉子は、女性法律家のパイオニア的存在として、その名を歴史に刻んでいる。 「人間的に成熟するであろう、50歳前後まで家庭裁判所の裁判官は引き受けない」 そう決めていた嘉子は、弁護士から裁判官に転じると、名古屋地方裁判所で判事としてのキャリアをスタートさせた。
女性初の判事として注目されながら、約3年半にわたって名古屋で勤務したのちは、東京地方裁判所の判事となる。13年余りの地方裁判所を経験してから、48歳で家庭裁判所に異動。以降は退官まで、家庭裁判所で少年事件を審判し続けた。 30年以上の裁判官生活において、16年にわたり家庭裁判所に身を置いた嘉子は、少年の非行について、どんなふうに考えていたのか。 1979(昭和54)年11月に定年で退官した嘉子が、裁判官生活を振り返りながら、裁判官のあるべき姿を書いた「少年審判における裁判官の役割」(「別冊判例タイムズ」6号、昭和54年12月)や、次世代にメッセージを送った「二十一世紀への私の遺言状」(「世論時報」昭和58年6月号)から、彼女の思いを読み解いていきたい。
■裁判官と調査官は十分に理解し合うべき 少年事件では、まず、家庭裁判所調査官が、少年やその保護者と面接。少年が犯した罪の内容だけではなく、家庭環境や生活状況、親子・家族関係、交友関係などの調査を行う。裁判官は調査官からの意見を参考にしながら、司法的な判断を下すことになる。 嘉子は裁判官として、調査官と意見をぶつけ合える関係性を構築するようにしていた。こう振り返っている。 「お互いに腹蔵なく意見の交換ができなければ意味がありませんので、日頃からそういう雰囲気を作っておかなければなりません」