【パリ五輪を戦った大岩剛の回顧録|中編】なぜ欧州の強豪国とマッチメイクできたのか。悪条件でも高いレベルに揉まれる体験を求めた
「しんどくても高いレベルでトレーニングマッチをやってほしい」
ヨーロッパに赴く際は1遠征で2試合を組んだが、同じ場所で連戦したケースは一度もない。さらに言えば、ひとつの国で場所を替えて戦う遠征もなかった。選手からしてみれば、タイトな日程だったのは間違いない。だが、そうした悪条件であっても大岩監督をはじめとする代表スタッフは高いレベルに揉まれる体験を求めた。 特にパリ五輪世代は21年のU-20ワールドカップやU-17ワールドカップがコロナ禍の影響で中止になった世代で、経験値が不足している。加えて、22年から23年にかけて所属クラブで出場機会を得られていない選手が多かった。 とりわけCBでは、23年のJリーグ開幕時点でレギュラーと呼べる選手は、コアメンバーでひとりもいなかった。その流れを打破するためにも、大岩監督は成長する場を与え続け、海外で得た体験をクラブに持ち帰って活かしてほしいと考えていた。 実際に多くの選手が代表で上のレベルを知り、大きな成果を残せるまでに成長を遂げている。CB木村誠二(鳥栖)やFW藤尾翔太(町田)は、代表での経験を自身の力に還元できた選手。クラブで苦しんでいた時期も継続して代表に呼ばれ、上のレベルで戦う機会を与えられたことで、五輪本戦ではチームに欠かせないプレーヤーとなった。 ただ、過酷な日程のマッチメイクはプラスになる一方で、クラブからの反発も予想される。怪我のリスクがあるからだ。大岩監督もハレーションが起こる可能性を指摘する。 「選手が海外遠征でアプローチをしてくれたし、結果的に成長に繋がった。これは訴えていきたい。しんどくても高いレベルでトレーニングマッチをやってほしい。だが、Jクラブや所属クラブにとっては負担になる。怪我のリスクもあるので選手を出してくれなくなるかもしれない」 とはいえ、高いレベルを経験するメリットはやはり大きい。今後の五輪世代を考えるうえでも大きな意味を持つ強化策のひとつだった。 《後編に続く》 取材・文●松尾祐希(サッカーライター)