鴻巣友季子の文学潮流(第15回) 話法の魔術で読ませる「約束」と「みどりいせき」
宗教、信心が物語の駆動力に
「母さん(マー)」と題する第1章では、一家の母レイチェルが逝去。13歳の末娘アモールはそれを受け止めきれずにいるが、レイチェルは(叔母いわく)夫への嫌がらせのためにプロテスタントからユダヤ教に改宗(復帰)したのだと言う。父はアルコール依存に陥っていた。 アモールは生前の母に父がしたある約束を忘れない。何十年と一家に仕えた家政婦のサロメと息子を住まわせてきた家を、彼女に譲るという約束だった。アモールはそれを家族の集まりで訴えるが、一笑に付されてしまう。アモールは看護師として国外を転々とすることになり、長男のアントンも軍を脱走して逃亡生活に。彼はかつて暴動で投石しようとした女を軍人として撃ち殺し、それがトラウマとなっている。 第2章「父さん(パー)では、父のマニが宗教に「目覚めた」ことから起きる悲劇が軸となる。マニはある牧師の教えに入れこみ、コブラを何匹も放ったガラス箱に入って毒蛇に咬まれ、死んでしまうのだ。 一体なぜそんなことを? (アントンいわく)父は「エセ牧師」に騙され、教会への資金集めのためにそんな見世物をやらされたのだと言う。毒蛇の巣でサタンと取っ組みあって生き延び、信仰の力を示そうとして失敗したのだ、と。葬式で家に戻ってきたアモールは例の約束の履行を主張するが……。 第3章「アストリッド」では、離婚と浮気を繰り返す長女アストリッドの空虚な精神が浮彫りになる。現夫ジェイクの同僚の黒人男性とも不倫をし、改宗したカトリックの神父に告解を繰り返すが、その所業は改まらない。しまいには治安と風紀のわるい街で車両強盗に押し入られ、非業の死を遂げる。アストリッドの夫はカトリック神父の元を訪れて、妻の告解内容を執拗に尋ねる。 第4章「アントン」では、アントンの鬱屈が描かれる。小説を書いていると本人は言うが、まるでものになっていない。妻デジレは東洋の瞑想指導者に惚れこみ、密通している様子だ。アントンは酔って帰宅した家でふたりの姿を当たりにした日、妻と口論のさなか自らの敗北を思い知り、狼狽と絶望の果てに拳銃を手にとる……。 物語の最後にいたって、姿の見えなかったサロメが登場する。履行されずにきた約束はどうなるのか? 拠りどころを失い、信じるものを求める人びとの物語である。スワート家の人びとは信仰に関してばらばらの状態にある(プロテスタント、カトリック、ユダヤ教、東洋思想、無神論)が、宗教、信心が物語の大きな駆動力になっている。不義の関係、カトリック神父への告解、死に際での改宗、思想への傾倒、小説家の存在、これらの要素とその組み立て方からして、グレアム・グリーン『情事の終り』というプロトタイプが下敷きにあるのは明らかだろう。 いまの時代、かれらの身近にカルト宗教があれば、はまりこんでいたかもしれない。本作中で延々と反故にされる「約束」とは、南アの黒人やカラードの人たちに対して国が宣言したものの不履行のままの様々な約束が姿を変えたものでもあるだろう。南アの失業率はいまも高く、犯罪率は増加し、かれらの生活を改善するという国の誓いは実現していない。