京都疎開:新型コロナ研究のはじまり(2)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第35話 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)とSARSウイルス(SARS-CoV)の病態の違いはどこから来るのか? 筆者が、2020年3月下旬に立てた仮説のなりゆきと、一時的、暫定的とはいえ、自分の研究室を閉じることになった経緯とは――。 【イラスト】筆者が2020年3月下旬に考えていた仮説 ※(1)はこちらから * * * ■ORF3b SARSウイルスの研究成果は、2000年代半ばから後半の文献を探せば、すぐに見つけ出すことができる。私はまず、インターフェロンの産生を抑える機能を持つタンパク質をコードする、SARSウイルスの遺伝子について調べた。 文献はすぐに見つかり、いくつかの候補が見つかった。私が探していたのは、第34話で述べた通り、「SARSウイルスにあって、新型コロナウイルスにない遺伝子」である。文献で見つけたSARSウイルスの候補遺伝子の中で、新型コロナウイルスにはないものを探したところ、ひとつ、とても興味深い遺伝子が見つかった。 それは、「ORF3b」というウイルスのタンパク質をコードする遺伝子である。SARSウイルスのORF3bがインターフェロンの産生を抑える機能を持っていることが、過去の論文には記されていた。 面白いことに、新型コロナウイルスの遺伝子を調べてみると、新型コロナウイルスのORF3b遺伝子の中には、途中に「終止コドン」と呼ばれる変異が複数入っていたのである。 「終止コドン」とは、「(遺伝子は)ここでおしまい」という「しるし」を意味する。そのため、新型コロナウイルスのORF3b遺伝子は、SARSウイルスのORF3b遺伝子に比べてとても短くなっていたのだ。これこそまさに、私が探していたものであった。
――このような経緯で、2020年3月下旬に私が描いたプロジェクトの仮説をまとめると、以下のようになる。 SARSウイルスのORF3bは、インターフェロンの産生を強く抑えることができる。そのため、感染した人の体内では、インターフェロンがあまり作られない。そうなると、SARSウイルスの増殖をうまく抑えることができず、重症化してSARSを発症する。 それに対し、新型コロナウイルスのORF3b遺伝子は、「終止コドン」が入ることで、とても短い遺伝子になっている。そのため、小さくなったORF3bタンパク質は、インターフェロンの産生を抑えることができない。そうなると、感染した人の体内ではたくさんのインターフェロンが作られ、それによってウイルスの増殖は抑え込まれてしまう。だから、COVID-19の病態は、SARSのそれに比べて軽かったりするのではないか? この研究であれば、新型コロナウイルスそのものを使わずとも、ORF3bの遺伝子だけがあれば実験することができる。しかも、実験して検証すべきことはとてもシンプルで、「SARSウイルスのORF3bはインターフェロンの産生を抑えられるが、新型コロナウイルスのORF3bはそれができない」ということを実証すればいい。 上述のように、SARSウイルスのORF3bがインターフェロンの産生を抑えることができることは過去の論文ですでに示されているから、これは過去の研究の再現実験をするだけだ。 そして、新型コロナウイルスのORF3b遺伝子には、SARSウイルスのORF3b遺伝子に比べて、長さが5分の1ほどまでに短くなる変異が入っている。直感的に、そして、これまでの「ウイルス学者」としての経験から考えて、こんなに短い遺伝子・タンパク質が、「インターフェロンの産生を抑える」という重要な役割を果たすことなどできるはずがない。要はそれを実証するだけの、とても簡単な実験だ。 とても簡単ではあるが、これを実証することができれば、COVID-19の病態を理解するためのひとつの手がかりになる――。
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