京都疎開:新型コロナ研究のはじまり(2)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
■京都(疎開)大作戦 ここまでくれば、あとはそれを粛々と進めるだけである。 ただ、当時の私にはひとつだけ、どうしても気がかりなことがあった。 時は2020年の3月下旬。私がプロジェクトの概要を固めたのと時をほぼ同じくして、欧米の大都市の「ロックダウン」が始まった。ニューヨーク、ロンドン、パリ。これらの大都市が、まるごと封鎖されたのである。 当時の東京の1日の新規感染者数はふた桁前半くらいだったと記憶しているが、このまま感染者が指数的に増え続ければ、東京も欧米の大都市と同様、封鎖されてしまう可能性が十分に考えられた。もしそうなってしまうと、せっかく立ち上げたこのプロジェクトも、ロックダウンによって強制終了してしまう。 どうすればその事態を避けてこのプロジェクトを完遂できるか? 今思い返せば非常識極まりない策だが、当時は背に腹はかえられない、「これしかない」という策であった。 ――それは、私の古巣である、「京都に"疎開"する」というものであった。 東京の感染者数は増加の一途を辿っており、いつ行動制限が始まるかわからない状況になっていた。県境を跨いだ行動制限が始まったところもあると聞く。もう一刻の猶予もない。
私は、京都大学の元ボスに頭を下げ、ひと月くらいをメドにした長期出張の受け入れと、実験実施の許可をお願いした。幸いにして、とても寛大な私の元ボスは、状況を理解し、それを快諾してくれた。 あとは、誰を連れて行くか、である。破天荒な計画であり、もちろん強制はできないので、学生たちの希望を募った。第33話でもすこし触れているが、当時の私のラボには5人の大学院生が在籍していて、彼らは京都大学の私の古巣から進学してきた学生たちであった。 彼らにすれば、古巣に戻るだけなので、実験の実施や環境には支障がない。幸いにして、3人の学生が、この「京都疎開大作戦」に参加してくれることになった。 それに加えて、この年の4月から、私のラボに進学することになっていた大学院生も、同行を希望してくれた。彼はちょうどこの週に上京したばかりだったが、新しい住まいでの荷ほどきもままならないまま、京都に向かうこととなった(ちなみに彼は、2024年現在、私のラボの主力メンバーのひとりに成長している)。 ――そして、忘れもしない2020年3月26日。一時的、暫定的であるとはいえ、このようにして私は、自分の研究室を閉じた。 この日のことは今でもよく覚えている。「一時的」「暫定的」とはいえ、いつ終わるのかもわからない「パンデミック」である。つまり、いつ解除できるかもわからない研究室の閉鎖だったのだ。 「また会う日まで!」メンバー全員にひとりずつそのように声をかけ、あるいは握手を交わし、私は、いつ戻ってこれるかもわからない、東京・白金台にある自分のラボを後にした。 この日以降、すべての学生・スタッフを在宅ワークに切り替え、私のラボから人がいなくなった。京都疎開組は、必要な準備を整えて、それぞれのタイミングで京都へと向かった。そして私も、一週間の在宅ワークを経て、4月2日に上洛する。 ※(3)はこちらから 文・イラスト/佐藤佳 写真/PIXTA
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