【共同通信杯】クラシックに直結する出世レース ここから飛躍したゴールドシップ、ジャングルポケット、メジロブライトのレースを振り返る
記録よりも記憶に残るジャングルポケット
今、見直してもジャングルポケットの成績と人気の乖離に驚く。というのも、頭の中では常に1番人気のような気がしていたが、実際に1番人気だったのは13戦して4回だけ。それ以外は2番人気3回、3番人気4回、5番人気2回。日本ダービーとジャパンCを制していながら、この人気だったことを考えると、それだけタレントが揃っていた時代。と言えるのかもしれない。 馬齢が生まれ年を1歳と数えていた時代にデビューしたジャングルポケット。デビュー戦の3歳新馬戦は8頭立ての5番人気で出走。ただ、かなりハイレベルなメンバー構成で、後の朝日杯3歳S2着のタガノテイオー、翌年の若葉Sを勝つダイイチダンヒル、そして朝日杯3歳Sを制するメジロベイリーが出走するなか、ジャングルポケットはこれらをまとめてなぎ倒した。このレースは出走した全馬がJRAで勝利を記録するという、のちに伝説の新馬戦の一つに数えられるレースだった。 2戦目の札幌3歳Sでも5番人気だったが、再びタガノテイオー、そして翌年に牝馬二冠を達成するテイエムオーシャンを破りレコード勝ち。にもかかわらず、3戦目のラジオたんぱ杯3歳Sは3番人気。このレースでは翌年にNHKマイルCとJCダートを勝つクロフネ、無敗で皐月賞を制するアグネスタキオンらを相手に2着に入った。 そして、初めて1番人気に支持されたのが2001年の共同通信杯だ。トニービン産駒と相性の良い東京競馬場が舞台。相手関係を見ても、日本ダービーを意識すれば負けられない一戦だった。コース横に雪が残る中スタートすると、ジャングルポケットはいつもの様に先団を見る形でレースを進め、直線では大きく外へ持ち出す盤石のレースぶり。坂をのぼり、鞍上の角田晃一騎手が後ろを数回確認し、一気にゴーサインをだすと明らかに1頭レベルの違う加速力とスピードを見せた。 とはいえ抜け出してからヨレるなど若さを見せる一面もあっただけに、課題も十分に見つかった内容だった。その後は日本ダービー、2001年ジャパンCと東京競馬場では通算3戦3勝。記録よりも記憶に強く残る1頭だ。