トランプとマスクが掲げる「言論の自由」にも一理ある、SNSが抱えるジレンマに民主主義社会はどう向き合うか
■ マスクの問題提起を軽く扱ってはいけない 橘:「言論の自由絶対主義者」のマスクも、あらゆる言論が許されるとして、小児愛とか、テロリズムを唆すような投稿を認めているわけではありません。 こうした反社会的な投稿を削除するのは当然ですが、白と黒のあいだには広大なグレーゾーンがあります。「不法移民が地域社会の安全を脅かしている」とか、「性自認だけで、生物学的な男が女子トイレを利用するのは不安だ」という投稿は、ポリティカル・コレクトネス(PC)の規範では許されないとされていますが、「合衆国憲法修正第1条で保障された言論の自由の範囲内ではないか」という反論は当然あり得ます。 もちろん、こうした投稿を「不適切」として批判する自由もあるでしょう。問題なのは、ウォーク(Woke:社会問題に意識高い系)やSJW(Social Justice Warrior:社会正義の戦士)と呼ばれるような過激な活動家が、投稿者を「キャンセル」し、社会的な地位を奪って葬り去ろうとしたことです。アメリカではこのキャンセルカルチャーによって、正論を述べただけで大学の職を追われた知識人がたくさんいて、大きな問題になっています。 保守派からすれば、プラットフォーマーが行なっているコンテンツ・モデレーションは、左派(レフト)におもねり、ポリコレ的に不適切な言論を封殺しようとしているように見えます。憲法で保障された「言論の自由」を、民間企業のモデレーターの一存で制限していいのかという問題提起は、決して軽く扱っていいものではありません。 しかしリベラルは、このやっかいな問題に足を踏み入れることを嫌って、こうした疑問を口にすることすらキャンセルしようとしました。保守とリベラルが相容れなくなるのも当然です。 とはいえ、プラットフォーマーの側からすると、どの発言が許されて、どの発言が許されないか、法律に明示されているわけではありません。不適切だと感じられる投稿については、右からも左からも抗議が殺到するので、なんらかの対応を余儀なくされます。すると今度は、その対応が炎上するという悪循環にはまり込んでしまうのです。 マスクは「言論・表現の自由が守られることがXでは最重要だ」と判断し、コンテンツ・モデレーションを縮小しました。それが正しいか正しくないかは置いておいて、民間企業の経営者としてはひとつの見識だというべきでしょう。 ──であれば、トランプ氏の「誤情報や偽情報を選定する学術団体やNPOに対する補助金を停止する」という公約をどのように読み解くべきでしょうか。