いまや不倫男役が話題だが…10年前に監督が目撃していた39歳俳優の“たのもしい姿”「共闘できると思った」
若手俳優から“もらえるところ”を探す
――若手俳優を送り出すとき、彼らからどんなことをキャッチしているのか。演出の秘訣を教えてください。 古厩:まず大前提として撮影が一番楽しいものです。撮影はライブです。脚本段階では、作品全体の7割くらいしか書けないものであった方がいい。 撮影をともにする俳優さんから残りの3割をもらうことにしています。僕は俳優に対して演出を施すというより、「いいところはどこだろう?」、「もらえるところはどこだろう?」と探ることを心がけています。 例えば、翔太は優しいけれど、とても受け身のキャラクターです。それは今っぽい若者の特徴だなと思いました。その受け身のキャラクター性自体は奥平君が見つけたもの。僕はそれを感じて、いいところとしてもらいます。 ――『のぼる小寺さん』(2020年)の伊藤健太郎さんも受け身の人で、終始、工藤遥さんを眼差す側でしたよね。 古厩:そうでしたね。
「受けるということ」はものすごく映画的
――受けるということは、古厩作品の人々に共通することでしょうか? 古厩:見るという行為も受け身ですよね。映画を観るなど、受け身は楽しいものです。映画だと、客席の向こう側に光を出すものがあって、客席ではその光を受ける。夕日を浴びてる人が美しいように、受けてる人も美しい。 ここで重要なことが。受け手にとっての光源である夕日そのものは、光っていてカメラでは撮れないんです。だから光を浴びてる(受けてる)ほうを撮ることで、夕日の美しさを表現するんです。 フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールが、「映画の真髄は何か」と聞かれて、「光のほうにキャメラを向けること」だと答えています。僕はこの言葉を光源と受け手との関係性だと解釈していますが、だから、受けるということにはものすごく映画的なことがあるんです。 ――『のぼる小寺さん』では、まさに夕日の中でベンチに座る場面があって、どこからともなく映画的瞬間がやってくる感覚がありましたね。 古厩:あの日はうまくいきましたね(笑)。「こっちが西側で太陽が来ます」と照明技師と相談しながら、「明日、天気だから撮ろう」と現場で狙ってました。やはり狙わないと撮れないものですね。