なぜ『SHOGUN 将軍』は世界的な成功を収めたのか? 時代劇に精通するライターが徹底解説。真田広之が起こした革命とは?
『SHOGUN 将軍』を名作たらしめた真田広之の人望と器
真田はそんな厳しい京都の職人たちに認められた。さらに人望も厚かったからこそ、職人たちも海を越えて助けにきたのだろう。20年も日本を離れて、海外をメインステージにしてきたのにも関わらずだ。ただ時代劇に出演していた俳優というだけでは、こうはいかなかったはずである。 実際に『SHOGUN 将軍』の現場での真田の様子を聞くと、自分の出演シーン以外もできるだけ現場ですべての撮影をチェックし、いつでも質問に答えていた。プロデューサーと役者として2本の軸で駆け回り、肉体的にも過酷な状況でありながら常に穏やかさとユーモアを持ち、日本人と外国人が混じるチームをまとめ上げた。つまり人間としての力と魅力、器のレベルが尋常ではないのだ。 筆者のラジオ番組『時代劇が好きなのだ!』(ラジオフチューズ)に出演してくれた阿部進之介氏によると、ほぼ初対面で「文ちゃん」(戸田文太郎=阿部進之介の役名)と呼ばれて驚いたそうだ。2003年に俳優デビューした阿部にとっては、初の長期海外ロケで、そのうえ馴染みの浅い時代劇の撮影である。きっと殿上人のように仰ぎ見た真田のフレンドリーさは、どれほど救いであっただろうか。 真田は彼らのような若い俳優にも「ヒロ」と気さくに呼ぶことを許した。そして職人たちとともに彼らに徹底的に寄り添い、指導した。 技術面だけではない。真田の人としての大きさが、この作品を世界的成功に導いた。 ちなみに阿部によれば、「英語圏の人たちと英語で話すときは“ヒロ”と呼んでました。我々が日本語で話すときは“真田さん”です。もちろん直接お呼びするときも“真田さん”と呼んでいました。それは日本人としての敬意の表現だからだと思います」とのことだ。
世界に発信することが文化継承の活路に
もはや武士道を説明できる日本人はほとんどいないだろうが、これを世界中の人々が理解できるように作るということは、現代の日本人にも理解がしやすいということだ。つまり時代劇に馴染みのない日本の若い世代にとっても入り口になり得る。 『SHOGUN 将軍』で真田が目指したのは、「日本の“時代劇通”が観ても納得できる作品にする」ことだった。日本の文化を正しく世界に伝え、現代の日本人の時代劇作品への入り口にもなる。まさしく文化の継承ができるのだ。 レギュラー放送のテレビ時代劇が激減したいまの日本では、時代劇文化の延命の可能性は低いと言わざるを得ない。かつてはよく使われた馴染みのロケ地も、荒廃が目立つ。 海外で時代劇の制作に取り組んだ真田は、単に面白いドラマを作ったのではない。文化というものを大切に扱う傾向のあるフィールドで、『SHOGUN 将軍』を通して表現した日本文化と、「時代劇」そのものという技術と文化の継承の活路を開いたのだ。 間違ってはならないのが、真田は海外に日本文化を明け渡したわけではない。ほとんど存在しなかった道を切り開き、このあとに続く日本人を求めているのだ。 そしてアジア人や日本人が見下されることなく、相互理解とリスペクトを得られる土台を作ったのである。世界でリスペクトを得られるということは、文化が守られることに繋がるだろう。