なぜ『SHOGUN 将軍』は世界的な成功を収めたのか? 時代劇に精通するライターが徹底解説。真田広之が起こした革命とは?
観念的な武士道と日本人女性のメンタリティ
とはいえ、真田の『SHOGUN 将軍』は、以前と同じ原作小説をベースに新しい解釈で作られた。 真田が繰り返しことばにする「オーセンティック」......つまり伝統的、本物志向の徹底的な細部へのこだわりで説得力をもたらされた映像により、海外の人々も日本人でさえ見たことない侍の世界に圧倒され、飲みこまれたのだろう。 さらに「武士道」や「日本の女性」などのメンタリティの描写も見事だ。キャラクターたちはなぜそうするのか? その理由が、共感はできなくとも理解ができるように描かれるため、日本の「禅」や「道」などに強い興味を持つ海外の人々の関心を十分に満たしたのではないだろうか。 観念的な要素を噛み砕いて言語化し、芝居で表現する。世界に“サムライ・フィルム”を発信するうえでマストであったとはいえ、これは真田の20年間にも及ぶ海外経験で得た客観性や、何より数々の日本の時代劇の現場を踏んできた経験があったからこそできたことだ。 また、真田は幼少期より徳川家康の本に親しんできたというから、それも大いに影響しているだろう。 特筆したいのは、アンナ・サワイ演じる鞠子のセリフに見る日本人女性の精神の在り方だ。これには封建主義時代から実はさして変化のない現代日本人女性たちのみならず、近しい境遇の世界中の女性......いや、女に生まれたからには感じずにはいられない非力さと、やるせなさを抱える多くの女性にとって、言語化のカタルシスになったはずだ。 もちろん、鞠子の存在は抑圧された心の代弁者にとどまらず、女性の誇りを呼び覚ますエンパワーメントでもあった。 そもそも国内の時代劇では、男性が主役になることが圧倒的に多かった。これだけ封建主義の男性社会と同時に、女性たちのメンタリティをどちらにも偏らずに描ききっているのは、現代の、しかもハリウッド作品ならではといえる。
時代劇を“オーセンティック”に作ることの難しさ
「真田はオーセンティックな時代劇を目指した」と簡単に一言で片付けられるほど、伝統的な時代劇を作ることは決して容易ではない。 日本人の映像クリエイターなら誰もが作れるというものではなく、専門的な知識と技術が必要になる。たとえば鬘、衣裳、セット、小道具、所作など。『SHOGUN 将軍』は、日本の時代劇の職人たちが海を渡り、現場で技術提供している。 これは真田が5歳から積み上げたキャリア――1966年に出演したテレビドラマ『水戸黄門』(TBS系)などからはじまり、数々の時代劇の現場を耐え抜いてきた経験――があって実現できたことだ。 耐え抜く――。そう表現したくなるほど時代劇の現場は厳しかった。今のようなコンプライアンスに厳しい時代とは違い、戦中を生き延びた男たちの怒号が飛び交う世界から始まっている。入り口となる殺陣の稽古では、たった数日で手足の皮が剥けて、日常生活が送れなくなるという経験を多くの役者が語る。 時代劇のスキルは、一朝一夕では得られない。なお、ここでいう日本の時代劇の職人とは、京都・太秦の東映などの撮影所で働いてきた職人たちのことである。NHKの大河ドラマなどの現場ではまた文化が異なる。