九州北部豪雨で立ち退く集落、気がかりはお地蔵様…小高い場所にお堂再建「年1回は集まりたい」
2017年7月の九州北部豪雨で甚大な被害を受けた福岡県朝倉市の乙石区が、市報の配布などを担う「区」としての活動を終え、今年3月末に解散した。乙石区で暮らした人たちはこれを機に、復興事業で取り壊されたほこらにまつられていた地蔵を安置するお堂を建てた。被災7年となる今月中にも安置する予定で、地区を離れざるを得なかった人たちが集える場とするという。(白井貴久) 【写真】取り壊される前のほこら。木の地蔵が安置されていた=佐藤さん提供
土砂崩れ相次ぐ
乙石区は市の中心部から車で約30分ほどの山あいの集落。乙石川に沿って12世帯の住宅が立ち並んでいたが、7年前の豪雨で土砂崩れが多発した。土砂や流木によって美しい山村の風景は一変し、住民は長期の避難を余儀なくされた。
被害を免れたのは1世帯にとどまり、ほとんどが全壊など大きな被害を受けた。さらに、復興事業で集落には砂防えん堤が設置されることになり、被災を免れた人も立ち退きを余儀なくされ、住民らで話し合って、乙石区の解散を決めた。
戻したい一心で
気がかりだったのが、地蔵のことだ。
「えん堤ができたあたりには、かなり昔からほこらがあり、お地蔵様が安置されていたんです」と、元区会長の佐藤達美さん(74)は語る。毎年7月13日の夜には人々がほこらの周囲に集い、持ち寄ったまんじゅうなどを供え、みんなで食べる習わしがあったという。
ほこらは被害はなかったが、砂防えん堤建設にあたって取り壊しに。地蔵は市の施設で保管されてきた。
お地蔵様を集落に戻したい――。住民らはその思いでお堂の建設に着手。地蔵が安置される場所の上部には、取り壊されたほこらの木材を使った。かつて民家があった小高い場所に建て、集落を広く見渡すことができるようにした。
近くには、市が乙石川の清流の写真など、災害前の集落の様子を載せた掲示板を設置し、人々が住み慣れた故郷を去ることになった経緯も記している。
集まれる場所に
今月中にも、地蔵を安置する予定だ。集落で暮らした人たちが集まり、災害前と同じように一緒に食事をしながら、これまでのこと、そして未来のことも話したいと考えている。佐藤さんは「集落の住民は離ればなれになってしまったが、皆の心のよりどころになればよい。年1回はこの場所に集まりたい」と言う。