第76回エミー賞受賞結果に表れたテレビ業界のフラストレーション 現地ライターがレポート
ディズニーとNetflixのアフターパーティにも違いが
キャンペーンといえば、作品のテーマから派生し大きな物語を描く宣伝方法が定着している。『私のトナカイちゃん』は表向き奇妙な自嘲コメディだが、シリーズを見終わる頃には全く異なる印象を受ける。脚本・監督・主演のリチャード・ガッドは性被害・性搾取を受けた男性やトランス、ノンバイナリーのための組織We Are Survivorsのアンバサダーを務めており、その経験をゴールデングローブ・ファンデーションの取材で答えている。 ガッドは自身の性被害についての一人芝居を行っている際に、この組織と出会った。「性的虐待はおかしな形で作用すると思います。その状況について自分を責めるのはとても簡単だからです。私は長い間、自分のせいではないのに自分を責めていましたが、そのことを話し始めた途端、何もかもが好転しました」と語り、『私のトナカイちゃん』を作った経緯を語る。ガッドが勇気を振り絞り、告白のエピソード(EP4)を作ったことで、この組織への問い合わせも倍増したという。「性的虐待からサバイブするのはとても勇敢で強いことのはずが、多くの男性は、男らしさを損なわれた、恥ずべきことだと考えています。このシリーズが配信され、正直に告白した人がいると知り、多くの男性が助けを求める許可を得たのでしょう。この番組があらゆるサバイバーに、そして特に男性サバイバーに『あなたは独りではない』と伝えられたら光栄です」。取材の場でガッドが語る脆弱性を認め、助けを求める重要性に、強い意思が感じられた。ハーヴェイ・ワインスタインの卑劣な行為を例に出すまでもなく、ショービズの世界ではグルーミングや性被害が多く生じている。ドラマのテーマが現代性を帯び、投票者に届いた例だと言える。 会場後方で観ていて気づいたこともある。ドレスのカラーはとても重要。アンナ・サワイの真紅のドレスは後方からでもよく映え、彼女がこの夜の主役であったことは誰の目にも明らかだった。候補者紹介の際の声援は、受賞結果と結びついている。会場に足を運ぶ人々は投票者であり、彼らの意思が結果に反映されているからだ。そういう意味で言うと、ドラマ部門作品賞や主演男優賞での『SHOGUN 将軍』への声援はものすごく、彼らが壇上へ上がるまで会場はスタンディングオベーションで迎えていた。授賞式そのものより、プレパーティ、アフターパーティが最大のお楽しみ。36部門受賞を盛大に祝ったディズニーは、エミー賞会場のピーコックシアターから近く、フランク・ゲーリー建築のディズニー・コンサート・ホールの隣にあるミュージックセンターを使い、道を封鎖しド派手なアフターパーティを開催。前日はFXと雑誌Vanity Fair共催レセプションを開催し、ノミネーション前は2週間に渡りFYC(アワードキャンペーン)を行っていた。豪華なプレミアを行った『インサイド・ヘッド2』や『デッドプール&ウルヴァリン』は興行成績も上々で、ここぞというときに惜しみなくリソースを投入することが勝利の法則だと言わんばかり。 一方、ハリウッドで行われたNetflixのアフターパーティでは、ふわふわのスリッパとIn-N-Out バーガーを振る舞うフードトラックを準備。高いヒールの靴で長い1日を耐えた人々の足を癒し、浴びるほどシャンパンを飲んだ後の“締めのバーガー”を提供する。こういう「痒いところに手が届く」ホスピタリティが世界中のクリエイターを惹きつけるのだろうと腑に落ちた。 オープニングモノローグで語られたジョークが結果の予兆になっていたのも、エミー賞が全米テレビ番組の祭典であり、テレビジョン・アカデミーが選ぶ賞だから当然と言える。MCを選ぶのも、構成台本を書くのも、ジョークを披露するのも、生中継のカメラオペレーターも、みんなテレビ番組を作っている人たちなのだから。今年のエミー賞の“番狂わせ”からは、テレビジョン・アカデミー会員が熟考し、問題意識を持って受賞者を選んでいるような気がした。だとすると、今後のエミー賞ではノミネートされる作品や候補者の顔ぶれも変わってくるかもしれない。 参照 ※1. https://variety.com/2024/tv/news/emmy-2024-ratings-viewers-1236143386/