井上尚弥vsネリの36年前、初の東京ドーム興行の第1試合で大番狂わせを演じた「噛ませ犬」の左フック
対する吉野は、ほぼ無名で戦績も7勝3敗1分と平凡なもの。日本ランキングも8位と大きな期待を寄せられていたボクサーではなく、売り出し中の坂本の引き立て役で抜擢されたに過ぎなかった。そんな状況の中、噛ませ犬は東京ドームという大舞台で大番狂わせを演じてみせたのだ。 「凄いチャンピオン、怖いチャンピオンだから、物凄く覚悟してリングに上がった。『俺は絶対、倒れない、倒れない、倒れない......。絶対、ぶっ倒す、ぶっ倒す、ぶっ倒す......』と念じ続けた。そうして集中したおかげなのか、試合中はセコンドの声は耳によく届くけど、観客の声や音は一切シャットアウトできた。 3ラウンドに左フックを顎(あご)にまともにもらって、グラッと倒れそうになったけど踏ん張ることができた。それで気持ちを持ち直せて、逆に3ラウンド終盤、左フックで最初のダウンを奪えた。そのとき、『本気で集中すれば、どれだけ強烈なパンチをもらっても堪えることができる』と自信が持てた」 吉野は4ラウンド開始と同時に、左を中心に腕を振り回して猛追。パンチをもらってもお構いなしに攻撃を続けた。そして1分6秒、カウンターの左フックを顎にヒットさせ2度目のダウンを奪う。坂本もチャンピオンの意地でどうにか立ち上がる。しかし1分25秒、さらに強烈な左フックを顔面に浴びせると、坂本は腰が砕け落ちたように3度目のダウン。レフェリーはカウントするまでもなく即座に試合を止めた。 4ラウンド1分27秒KO勝利。この瞬間、噛ませ犬役を担った20歳の若者はチャンピオンベルトを腰に巻いた英雄に生まれ変わった。同時に、たった一発で相手を沈める豪快な左フックは、以降、吉野弘幸というボクサーを語る上で欠かせないパンチとして定着していった。 「まず嬉しかったのは、周りから『凄いね』と声をかけてもらえるようになったこと。やんちゃで子供の頃から怒られてばかりで、他人から褒めてもらえるようなことは滅多になかった。ボクサーとしても、あの一戦で自信が持てるようになったし、大きく成長することができた。左フックにこだわるようになったのも、坂本戦の勝利がきっかけだった」 ■人気ボクサーになりファイトマネーは7倍以上に 20歳でチャンピオンになり一躍注目されるようになった吉野は、日本歴代2位タイ(当時)となる12連続KO記録を作り、さらに日本ウェルター級のタイトルも14回連続で防衛(同階級では現在でも歴代1位)した。