「海賊に襲われたことも」 三重・松阪工OBの梶間さん「私の船員人生」語る
昭和29年卒の89歳 捕鯨船からタンカー、商船まで
三重県松阪市殿町の県立松阪工業高校の同窓会「三重同工会」(山川隆志理事長)は8日午前10時から同校の体育館で、同校を1954(昭和29)年に卒業し捕鯨船や商船の船長として世界中を航海した梶間靖郎さん(89)=兵庫県三木市=を講師に迎え「私の船員人生」をテーマに講演会を開いた。在校生らは遠い外国の海上で起きた話に耳を傾け、見識を深めた。
英会話大切、在校生ら聴く
講演会は同会員が活躍した分野での実学や経験を、母校の生徒をはじめ広く一般の人に伝えて今後に生かしてもらおうと毎年開いている。この日は全校生徒と同工会員ら約600人が聴講した。 梶間さんは大阪府出身。小学3年生のときに母親の実家がある松阪市へ疎開し、54年に松阪工業高校を卒業後、三重県立大学(現・三重大学)水産学部に入学。23歳から70歳まで南氷洋捕鯨、タンカー、コンテナ船、材木船などに乗った。 梶間さんは高校1年の時は身長が143センチと小さく、運動も苦手で人前に出るのも自信が無かった。しかし、卒業時には身長が165センチほどに伸び、大学ではボートや水泳の実習で好成績を残したことをきっかけに自分に自信を付けたなどと伝えた。 職業に「船員」を選んだのは父親から「船乗りがいいのでは」とアドバイスを受けたのがきっかけ。自身も船員に「格好いい」という印象を持っており、この道に進むことを決めたと語った。 最初に乗ったのは捕鯨船。戦後の食糧不足によるタンパク源の確保として鯨肉は需要があり、南氷洋や北氷洋へ出向いたが、捕鯨は時代の移り代わりとともに衰退。しかし、日本では貿易が盛んになり始め、捕鯨船から商船に乗り換えることに。その後も日本人の船員がいない船に乗ることで英会話の大切さも痛感。人生は「人間万事塞翁(さいおう)が馬」、良い事もあれば悪い事もあるとした。 また、マラッカ海峡で海賊に襲われた経験も紹介。夜中に海賊が船体にフックを掛けてよじ登り、船室に上がり込み金庫を盗まれ「会社には怒られたが『海賊保険』に入っていてよかった」などと話した。 講演を終えて中村日南生徒会長(2年)は「海賊が本当にいるのだとびっくりしました。英語が話せたらより楽しい未来が待っているのかなと思いました」と感想を述べた。