「中居正広は引退しろ」「フジの放送免許を取り消せ」と叩きまくる人の“正義”に抱く違和感…厳罰を求めるムードが高まる一方で、何が見落とされているのか?
そもそも一連の報道を見る限り、相手女性が中居さんに社会的制裁を下すために、週刊誌に告発したわけではないようです。示談が成立して守秘義務があるし、世間に知られたら自分の存在や行為の詳細が特定されてしまうかもしれない……。本人が語っていない以上、想像にすぎないでしょう。 「女性はさらなる社会的制裁を求めているだろう」だけでなく、「こういう事情があり、リスクを恐れているかもしれない」「女性の家族も騒動の拡大は望んでいないかもしれない」などと被害者保護の論点を並列して考えたいところです。
ネット上で女性の特定が進む中、中居さんに「会見を開け」、テレビ局に「この問題を番組で扱え」と思っている人は、「それが残酷な行為かもしれない」という意識が抜けていないでしょうか。決して「芸能界だけの話」とはいえない問題だけに、1人ひとりが他人事としてとらえず自分事のように考えられる社会でありたいものです。 ■被害者を置き去りにした暴走の危うさ もう1つ、被害者保護の論点から指摘しておきたいのは、本人を置き去りにした暴走。
現在ネット上には、「他にも被害者がいるからこれだけで終わらせてはいけない」という声が増えています。「中居の被害者はもっといるだろう」「テレビ局に“上納”された女性がほかにもいるはず」などと決めつけて、真相を探る動きを作り出そうとしているのでしょう。 ただ、これも「その可能性はあるかもしれないし、ないかもしれない」という段階の話。「もしあったとしても、被害者はそっとしておいてほしいかもしれない」という被害者保護の論点を忘れてはいけないでしょう。
また、中居さんの相手女性も、自分の問題が他人に飛び火することを望んでいるかどうかはわかりません。被害者の感情を置き去りにした第三者の暴走は自尊心を満たすための偏った正義感に見えますし、「自分は本当に被害者のことを考えてコメントしているのか」自問自答してほしいところです。 それ以上に目に余るのは、中居さんに対するいきすぎたコメントの数々。報道が真実であればある程度、厳しい言葉を受けても仕方がないでしょうし、自らの言葉で発信しないため、臆測を呼んでしまうところもあるのでしょう。