乗船予定の船が転覆し母は帰国を断念 どこでお金を…「恥かきっ子」と呼ばれた幼少時代 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<4>
《運命の決断…》
そんな母が一度だけ韓国へ帰ろうとしたらしい、子供4人を連れてね。戦争中で生活が苦しかった。比治山の麓、土手近くに小さな船着き場があった。そこから玄界灘を通って、何人も(韓国へ)帰っている、在日韓国人が…。でも行ったら、次の船は2、3日は待たなければならないという。で、母は船着き場近くにある小さな家を借りたそうです。家賃は1カ月で200円くらいだったかな。
そこで待った。やっと船が来た。船着き場まで子供を連れて行ったそうです。人が大勢並んでいて満員だと断られた。韓国を往復するとなると1週間以上はかかるかな。しようがないから部屋に戻った。それから2、3日したら玄界灘近くで船が転覆したという。私たちが乗ろうとして、断られた船だったんです。お袋は怖がって「もう帰るのはやめよう」って。借りた家にそのまま住むことになった。それが私が子供のころに育った比治山の麓の家です。
思えば、その家のおかげで原爆でも助けられた。船が転覆しなかったら韓国に帰っている。運、不運の瀬戸際ですが、母の決断は大きいわな。今の私があるわけですからね。
子供のころ、母の寝ている顔を一度も見たことがなかった。朝早くから夜遅くまで働き詰めです。今考えても、ありがたいことです。明治生まれの女性は強い。晩年、母に「あんたは強いな」と言ったら、黙って笑ってましたけどね。おやじがいない。子供4人、よく育てたと思います。(聞き手 清水満)