仏教とは何なのかを問う、円城塔のSF小説 「ブッダ」と名乗るAIの出現を描いた壮大な思考実験(レビュー)
本作は、人間を「機械」に置換して仏教の発生と発展をなぞる過程を提示している。一般的な小説文体とは異なり、人物、ドラマ、情景描写に主眼はなく、思考実験的エッセイとも言える。詩、そして経文に近い文体になることもある。もともと仏教は(特に禅宗において)徹底した自己批判・自己否定がされてきたが、本作もパロディー的な展開をしつつ想像を発展させる。 ロボット、AI、人工生命における意識の発生は、最初期のSFである『フランケンシュタイン』から現在に至るまでさまざまなSFで扱われてきた。本作では、とあるコード(プログラムの構成要素以外に多義的な語だが)がオリンピックの情報システムとして作られ、銀行の勘定系に転用されたのち、シューティング・ゲームで戦う中で人間性を身につけていく。機械の人間性を問うことは、人間の機械性を問うことでもある。やがてコードは、自らをブッダと宣言し、ブッダ・チャットボットとして知られるようになる。 本作は「機械による仏教」を思考実験することにより、仏教とは何なのかを問う。仏教は世界で四番目に信者が多い世界宗教である。国や宗派により、仏教の価値観は非常に多様である。日本では寺も多数あり文化にも深く浸透しているため、仏教は身近と感じがちである。だが実のところ、日本仏教は多様な仏教の一つに過ぎない。そして日本仏教の中でも浄土系、密教、禅宗、日蓮宗など各宗派によって教義や実践が大きく異なる。本作ではその主要な宗派による教義の違いも、概念操作によって示す。その扱いの軽重には差がある。仏教を一般化してその本質を捉えようとするのは困難だが本作はそれに挑む。 また我々が日常的に接するのは、ブッダの説いた教えそのものではなく、歴史的発展を遂げた(各宗派に基づく)「仏教という教義」である。コードとしてのブッダの出現からその後を描くには、ブッダの教えと宗教として発展した仏教のどちらも無視できない。本作はフィクションだが、仏教を直接変質させようとするのではなく、これまで語られてこなかった方向にプログラミング的手法を援用して仏教的思考を敷衍しようとする。 仏教はSFと非常に相性が良い。「色即是空」という考え方は量子力学と奇妙に符合し、天文学的な大きさ、宇宙的規模で時空を扱う。本作でも引用されている植木雅俊による法華経の現代語訳『サンスクリット版縮訳 法華経』などを読むと、仏教の想像力豊かなSF性がよく分かる。 プログラミング的思考やAIの設計では、英語圏、そしてキリスト教、ポスト・キリスト教思想の自他二元論、人間中心主義などの影響が大きく、発想を束縛している。それはSF界にも当てはまる。 今後も本作のような仏教SFが新たな方向性を示すことを期待したい。仏教的発想は、今とは異質な新しいAIを生み出しうるかもしれない。 [レビュアー]八島游舷(作家) 協力:河出書房新社 河出書房新社 文藝 Book Bang編集部 新潮社
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