職業体験テーマパークよりもリアリティがある我が子の“体験”…だからこそシングルファザー住職の血の気が引く数々の出来事
「何まん?肉まん?豚まん?」
最初の頃は「ここなら少々のやんちゃも許してくれるだろう」とシミュレーションを重ねて臨んだ。 読経が無事に終わっても、道中のトイレの心配もある。ご年配の男性ひとり暮らしだと、トイレを借りにくかったりもするから、お寺を出る前に最後の一滴まで絞り出しておくように命じるなど、細心の注意も払った。それでも「我慢できない」という事故もあった。 仏壇のなかのお菓子や果物が、ご本尊やご先祖のためのお供え物だということもわからないから、「あ、みかん、大好き!」などと口走ってしまう。想像の斜め上をいく発言に私は血の気が引く。檀家さんは「坊ちゃん、全部持って帰って!」と気を利かせてくれるが、私としては申し訳なくてたまらない。 お布施をいただく時の神妙な空気も、子供には伝わらない。 読経してお茶をいただいたら、「ありがとうございました」というお礼の言葉とともに白い封筒が差し出される。それを私が「檀波羅蜜具足円満(だんはらみつぐそくえんまん)(お布施の功徳が満ちあふれますように)」と唱えながら恭しく受け取る。 檀家参りの中では読経の時と並んで、空気がピリッと引き締まるはずの瞬間なのだが、息子は私がムニャムニャ唱えた言葉でふと閃いたらしい。 「えんまん」という最後だけを聞き取って、「え?何まん?肉まん?豚まん?」と即座に合いの手を入れる。引き締まった空気がゆるむ。檀家さんは「可愛いわねぇ」という温かいまなざしを送ってくれても、私は内心カッとなっている。 玄関を出て2人きりになったら「あのタイミングで肉まんは明らかに関係ないでしょ」「封筒に肉まん入ってるとでも思ったの?」とたしなめたが、私が「肉まん」を連呼するあまり、息子にはかえって「肉まん経」としてインプットされてしまったらしい。私がお布施を受け取るのをニコニコしながら見るようになった。 冷や冷やする出来事がいくら続いても、私は子供を連れて読経に出かけて行った。 そうするようになった発端は、インフルエンザによる休園だったが、幼稚園が再開されて以降もまったくやめようと思わなかった。幼稚園や小学校の教室のなかからは見えない世界を見せてやれば、子供にとって大きな刺激になるだろうと信じたからである。 池口龍法 僧侶。浄土宗・龍岸寺住職。二児の父。1980(昭和55)年兵庫県生まれ。京都大学卒業後、浄土宗総本山知恩院に奉職。2009年、フリーマガジン「フリースタイルな僧侶たち」を創刊。2014年より現職。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』など。
池口龍法