職業体験テーマパークよりもリアリティがある我が子の“体験”…だからこそシングルファザー住職の血の気が引く数々の出来事
飽くなきチャレンジを続ける忍耐
私が小学生の頃は、忘れ物をしたら怒られた。鉛筆の持ち方も食事のマナーも厳しく指導された。態度が悪ければ、先生から鉄拳が飛ぶのもしょっちゅうだった。しかし、私の子供2人は、忘れ物をしても怒られないし、鉛筆の持ち方も食事のマナーも習ってこない。先生から殴られることもない。なんともヌルいなぁと思う。 もちろん、私は今さら体罰を推奨したいわけではない。 お釈迦さまは、修行生活のあいだに断食行など厳しい苦行を経験したが、自分の身を痛めつけて自己満足を味わっても意味がないと気づき、苦行をあきらめたという。そして、乳がゆを飲んで英気を養い、HP(ヒットポイント)をマックスにまで回復させて、ついに悪魔マーラとの最後の決戦に挑んだ。 だから、仏教的にも体罰に価値は見出しにくいが、目標に向かって飽くことなきチャレンジを続ける忍耐は、推奨されるところだろう。 私の子供たちも、レベルが上がって「新しいお経を覚えた」などのスキルアップを繰り返していけば、正しい努力は自分を裏切らないことを身に染みて覚えるだろう。その手ごたえが心に残れば、大きくなった時にためらいなく新しい世界への扉を開き、努力の末にさらにレベルアップを果たすだろう。 私は、ロープレと仏教から学んだそのような感覚を、子育てのなかに活かしたいと思っている。
テーマパークより贅沢な職業体験
職業体験といえば、ちびっこ僧侶としてデビューする2年前に、職業体験テーマパーク「キッザニア」に連れて行ったことがある。 キッザニアでは、ゲートを入った先のパビリオンで、パン屋さんやパイロットなど、憧れの大人の姿になり切ってお仕事を体験することができる。職業の数は約百種類も用意されている。お仕事をしたら専用通貨「キッゾ」で給料が支払われ、貯めるとキッザニア内のお店で商品が買える。遊びながら社会の仕組みが学べるテーマパークになっている。 私の子供たちも、電車の運転士の格好をしてハンドルを握ってみたり、消防士になって放水してみたり、舞台俳優になってみたりと、日頃知ることのない大人の世界を少しだけ垣間見られて大興奮の時間だったらしい。「また行きたい」と何度もせがまれた。 ただ、いささか虚しさを覚えなくもない。あくまでその日かぎりのバーチャルな体験だからである。帰宅してしまえば思い出以外には何も残らない。 それに比べ、住職の長男が檀家参りするという職業体験はリアリティのレベルがまったく違う。檀家さんからの期待が高まれば、かつての私のようにストレスを感じて「俺の人生を勝手に決められてたまるか」と反抗したくなる時もあるだろうが、そこまでを含めて、まっとうな職業体験といえるのではないか。 そんな風に書くと、批判の声が飛んできそうである。「お寺の子供にしかできない贅沢な時間の過ごし方であって、日本の大半を占めるサラリーマン家庭には不可能である」と。だからこそ、「職業体験テーマパークが流行るのだ」と。 しかし、私だって、気楽に子供連れで読経にでかけているわけではない。まだ6歳の未就学児のリアル職業体験を成功させるには、相当に気苦労が絶えない。