来年で30周年「おぎやはぎ」 小木博明と矢作兼が振り返るコンビ結成の経緯と愛車遍歴
矢作「絵になるところですかね。唯一無二、オリジナリティーがすごいですよね。本当に代わりがいない人って感じ」
小木「発想力とか、人に期待しないで自分でなんとかしようとするところ(笑)。そこは尊敬しますね」
――逆にこれだけは許せないところ
矢作「許せないほどのことではないけど、よく、さまぁ~ずさんからも言われるんだけど、小木の第一印象って高貴な人のように見えるんですよね。本人にはその気はないんだけど、そう思われたら損だから直すじゃないですか、普通は。小木は直さないんですよ。若手のうちは誰にもこびずに自分を貫いているようでかっこよかったけど、芸能界入って20年、30年経って立場が上になってくると、普通に偉そうにしてる人になっちゃうでしょ?(笑)だから、逆に腰を低くしてたほうがいいよって言ったことはあります」
小木「時代に合わせなきゃいけない、とは考えていますけど、人間そんな簡単に変われない(笑)」
■思い出深い最初の愛車
――「愛車遍歴」にちなんで、最初に手に入れた愛車との出合いは
矢作「僕が19か20歳のときなんですけど、フィアット・パンダのマニュアル車をちょうど100万円で買いました。埼玉の中古車販売店に買いに行ったのを今でも覚えてますね。5年ぐらい乗った頃かな、当時付き合ってた彼女が運転しているときに追突されたかなんかで廃車になっちゃって(笑)。トラックに乗せられていくのを見送るとき、すごく悲しかった」
小木「自分でお金を払って手に入れたのはプジョー 405 MI16。19歳ぐらいのときに、当時の彼女と歩いていてコーヒーが飲みたくなって、『ディーラーに行ったら営業マンの話さえ聞いていればただで飲めるじゃん』って言って、近所にあったディーラーに、遊び的な感じで入ったんですよ。プジョーがパリ-ダカール・ラリーで4連覇していた時代で、もともと興味もあったんで、コーヒー飲みながら実車を見ているうちに『やっぱかっこいいな』と。見積もり取って、今なら決算前で安くできるって言われて、こっちも『親と相談します』みたいな感じで。570万円から100万円近くオプション込みで値引いてくれて、親に払ってもらって、あとから分割で返す形で買いました。5年ぐらい乗って、トータルで400万円ぐらい修理代かかりましたよ(笑)。すんごい壊れました。で、親が『もういい加減にしてくれ』ということで、車の買い取り専門店を回ったんですけど、どこ行っても査定が0円で。いくらかでも値段がつくものだと思ってたからガッカリして。そんななかでフランス車を専門に扱っている店に行ったら、20万円で買い取ると。しかたなくそこで売って、『なんだかんだで900万円近くかかった車が5年でたったの20万円か…』と思いながら店の前の停留所からバスに乗って、帰る途中で西武自動車に寄って、もう手元にないプジョーのエアコンの修理代の16万円を払って、家着いたら4万円でした(笑)」