Hippo Campusが語る、インディー・ロックの夢を受け継ぐバンドが歩んできた軌跡
高校時代に同級生と結成したバンドで世界中のライブハウスやフェスを回り、有り余るアイデアをアルバムに落とし込んで拡散する。ヒッポ・キャンパス(Hippo Campus)は、そんなインディー・ロック・キッズたちの夢を、今日的なアプローチで叶え続けている存在だ。 【画像を見る】ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」 2013年にミネソタ州セントポールの高校で結成され、作品をリリースするたびにアレンジのアプローチを変えながら、2010年代以降のロック・サウンドをポップな形で体現してきた彼ら。アメリカのみならずヨーロッパでも継続的にツアーを行い、先日の初来日公演でも超満員のオーディエンスを熱狂で包み込んだばかりだ。 バンドのディスコグラフィを辿ると、ロウ(Low)のアラン・スパーホークやBJバートンといった名プロデューサーが活動の初期から並走していたことがわかる。ボン・イヴェールやスネイル・メイルとも協働するブラッド・クックを招き、装飾のないシンプルな演奏を収録した最新作『Flood』は、そんなヒッポ・キャンパスの現在地を示す好作だ。雄大なスワンプ・ロックの影からは、バンドの10年間の労苦と、息を合わせて演奏することへの素朴な喜びが伺える。 ヒッポ・キャンパスというバンドはどのように形成され、彼らの出会ってきた人々や音楽は現在の活動へどのように繋がっているのか。(図らずも)バンドにとっての記念すべき日であった東京公演の初日、ライブ直前のジェイク・ルッペン(Vo, Gt)とネイサン・ストッカー(Gt)に、その足跡をたっぷりと語ってもらった。 ―実は、今日(取材日:2024年11月18日)はヒッポ・キャンパスの最初のEP『Bashful Creatures』のCDリリースからちょうど10周年なんです。 ジェイク・ルッペン(以下、ジェイク):本当!? 初めて知ったよ! 今夜のセットリストを考え直さなきゃかもね。 ネイサン・ストッカー(以下、ネイサン):ヤバいね。 ―そんな記念すべき日に合わせて、今回はこれまでのバンドの活動を振り返らせてください。まず、同級生同士でバンドを結成してから2014年の『Bashful Creatures』をリリースするまでの話を聞かせてください。当時のことは覚えていますか? ネイサン:僕らはとても奔放で、ただエネルギーが有り余ってるだけの高校生だった。バンドの一員として演奏することに興奮していたし、お互いのケミストリーに感動していたよ。 ジェイク:好きなバンドも同じだったからね。 ネイサン:そう。放課後とか週末になるとベースのザック(・サットン)のお父さんが持っていた地下室に集まって、みんなで曲を作っていたよ。あとはエアガンを撃ったり、『スマッシュブラザーズ』をやったり(笑)。 ―そもそも、最初にバンドを結成した時はどういう音楽をやろうと思っていたんですか? ネイサン:僕はUKロックが好きだったんだ。リトル・コメッツやボンベイ・バイシクル・クラブ、あとはラスト・ダイナソーズとかも聞いてたよ。ギターの主張が強くて、メジャー・ペンタトニックを使いがちで、ボーカルの声が面白いバンドとかが多かったかな。 ジェイク:トゥー・ドア・シネマ・クラブはまさにそうだね。僕はポリスとかのクラシック・ロックが好きで、そこから派生したサウンドのバンドも聞いていたよ。 ネイサン:僕らはいわゆる“インディー”という概念に縛られていたね。そういう音楽ばかり聞いていたよ。 ジェイク:だからこそ、僕たちは“インディー・ロック”というジャンルの中でユニークであり続けようと思って、色んなプロデューサーとコラボレーションをしているんだよね。ヒッポ・キャンパスの音楽がユニークなのは、単にインディー・ロックを経由しているからでなく、新しいバージョンのサウンドを発明している人たちと仕事をしているからなんだ。 ―最初のEP『Bashful Creatures』はロウのアラン・スパーホークのプロデュースですよね。 ネイサン:アランは今でも僕らのインスピレーションの源なんだ。もちろんロウはずっと好きだったし、『Bashful Creatures』を作った時もクールだと思っていたけど、彼がどれほど偉大なのかは分かっていなかったよね。当時の僕らは未熟だったよ。 ジェイク:最初にアランがスタジオに入ってきた時、僕らはリヴァーブのツマミを10まで上げて演奏していたんだよね。そうしたら彼が「リヴァーブは禁止だ」と言って、全部オフにしたんだ(笑)。 ネイサン:そうそう。「誤魔化しちゃダメだ」って感じでね。 ジェイク:最高のレッスンだったよ。アランのような、僕らと違う音楽性のプロデューサーと一緒に仕事ができたのは有意義だったね。もしあの時にLAへ行って、ポップスのプロデューサーと仕事をしていたら、今のヒッポ・キャンパスはなかったかもしれない。僕らはデビューの頃から偉大なプロデューサーの下で学ぶことができたし、だからこそ今でもバンドを続けられているんだ。 ―2017年リリースの1stアルバム『Landmark』と翌年の2ndアルバム『Bambi』はBJバートンのプロデュースでした。彼との制作はいかがでしたか? ネイサン:プロダクションについて、とても多くのことを勉強させてもらったよ。自分たちのアレンジの可能性を広げてくれたし、画期的なものを作ろうとしている僕らを後押ししてくれたね。『Landmark』と『Bambi』を作っている時はツアーやライブの連続で、自分たちがバンドに何を求めてるのかわからなくなるような時期だったんだ。BJバートンはそれを前向きに支えてくれたよ。 ―確かに、当時はフェスの出演や他のバンドのサポートアクトも多かった印象です。その頃に観て印象に残っているバンドはいますか? ジェイク:モデスト・マウスと一緒にUKツアーを回ったことがあったんだ。ずっと好きなバンドだったし、アイザック・ブロックのキャラクターも知っていたから、リヴィング・レジェンドと一緒にライブをすることが信じられなかったよ。最初、僕らは隅っこの方で縮こまってたんだけど、アイザックが「こっちにおいで!」って招いてくれたんだよね。 ジェイク:今はサミアやチャーリー・ブリスのような、自分たちがプロデュースをしているバンドと一緒にツアーを回ることが多いんだ。同じコミュニティにいる素晴らしいミュージシャンたちだね。 ―2022年の北米ツアーはCHAIと一緒に回っていましたよね? ジェイク:そう! 最高だったね、解散しちゃったのが悲しいよ。彼女たちの演奏が素晴らしかったから、そのあとに出るのは大変だった(笑)。ディナーの時に翻訳ソフトを渡し合ってチャットしてたよ。 ネイサン:マナとカナだね、覚えてるよ。そういえば渋谷のLemonteaっていうビンテージ・ショップに行ったら、そこのオーナーが「マナと友達だよ!」って言っててね。世界は小さい(笑)。