ピーチ・ツリー・ラスカルズが語る、大ヒット曲のインスピレーション源はヨセミテ国立公園
コロナ禍中にTikTokをきっかけに世界中で大ヒットした曲「Mariposa」で知られるピーチ・ツリー・ラスカルズ。メンバーは、歌も曲作りも担当するジョセフ、タレック、アイザック、ドムの4人とクリエイティブ・プロデューサーのジョージ。カリフォルニアのサンノゼ出身の彼らは、フィリピン、パレスチナ、 メキシコのルーツを持つ移民の2世でもある。現在、Spotifyの月間リスナーが200万人を超えるほどの人気で、2023年にはアジア・ツアーを行い、初の来日公演も成功させている。ヒップホップ、ソウル、ジャズ、ファンクなど様々な音楽が融合したサウンドは、懐かしくもフレッシュで、心温まる歌が素晴らしい。昨年はリリースのなかった彼らだが、10曲入りの新作『Love, The Rascals』をリリースする。 ー地元のサンノゼではどのような音楽をディグってきましたか? ドム 僕は70年代の音楽だね。ケンドリック・ラマーも大好きだ。 アイザック 子供の頃はケンドリック・ラマーに夢中で、エミネム、50セントも大好きで、典型的なウエストコーストのスタイルにハマってた。大人になってからは、ケンドリック・ラマーが僕にとってのGOAT(最高の存在)になったね。 ジョセフ 僕はフィリピン系だから、家族みんなの音楽に対する感受性がスゴく強かった。父と叔父たちはいつもイーグルス、ビートルズ、ビーチ・ボーイズといった音楽を演奏してたよ。 タレック 両親はアラビアのポップスしか流さなかったから、ナンシー・アズラムやタマラ・ホスニ、アミード・ディアブとかを聴いてたね。父はドラムを演奏してたから、僕はリズムとエネルギーの面で影響を受けてる。アラビア音楽以外では、フランク・オーシャン、チャンス・ザ・ラッパー、ジャスティン・ビーバーを聴いてた。そこからメンバーにいろいろ音楽を教えてもらって、いろいろ聴くようになったんだ。 ー高校の友達だったところから、どのようにピーチ・ツリー・ラスカルズを結成するに至ったのですか? どのような音楽をやろうと考えていました? タレック 始まりはアイザックと出会った時で、彼はSoundCloudで曲を発表して、YouTubeのビートでラップをやってたんだ。放課後になると、彼とフリースタイルを始めて、YouTubeで見つけたビートに合わせてラップをするようになった。高校を卒業する頃に、アイザックが作ったファンキーな曲をドムが気に入って。ドムがプロデューサーとして活動を始めた時に、ピーチ・ツリー・ラスカルズのサウンドが形になった感じだ。ドムは70年代の音楽やファンク、ソウルが好きだから、僕たちもいろいろ取り入れようとしたね。ただ、僕たちの音楽で一番大切にしてることは、時代を超えたものを作ることで、今聴いても、70年代に聴いても、70年後に聴いても楽しめるものを目指してるんだ。 ーピーチ・ツリー・ラスカルズという名前はどのように考えたのですか? キャンプ中に浮かんだと聞きましたが。 アイザック 僕たちはよくヨセミテ国立公園でキャンプをしてたんだけど、その頃から音楽の制作は始めてたんだ。自信を持ってリリースできる曲が何曲かあったんだけれど、まだ僕たちの名前が決まってなくて、話し合いになった。いろいろとアイデアを出し合う中で、ジョージが「ピーチ・ツリー・ヴィレッジ」という名前を思いついてね。良い名前だけれど、「ヴィレッジ」という部分はちょっと違うなと思って、僕は「ヴィレッジ」を「ラスカルズ」に置き換えた。それで「ピーチ・ツリー・ラスカルズ」で行こうって決まったんだけれど、それは僕たちが初めてリリースした曲「Glide」を出す2週間前のことだった。 ーキャンプ好きなのは、『Camp Nowhere』のジャケットを見た時にそうだと思いました。「Mariposa」が生まれたのも、ヨセミテ国立公園と関係があるんですよね。 アイザック その曲を作ったのはドムの物置でなんだけど、ジョセフがフックとコードを考えたんだ。ヴァースには少し時間がかかったけれど、決まってからはどんどん形になっていった。この曲は絶対にスゴいことになるだろうと思ってたし、そうなってほしいと願っていたよ。 ジョセフ 「Mariposa」という曲名は、ヨセミテ国立公園の中にあるマリポサ・グローブからインスパイアされたものなんだ。 ー「Mariposa」があれほどのバイラルヒットになることは予想していました? タレック イエスでもあるし、ノーでもあるね。僕たちの曲はどれもリリースするからには自信があるわけで、成功するポテンシャルもあると思ってる。ただ、僕たちはあまりTikTokを使っていなかったから、TikTokであれほど早くものごとが動くのを見るのは驚きだったし、楽しかったし、興味深い経験にもなった。コロナ禍にはファンと会ったり、ライブをしたりというのができなかったけれど、それを吹き飛ばすくらいの素晴らしいことだった。みんながリアルにあの曲を動画で使って、それに対して反応して、クリエイティブに楽しんでるのを見るのは良い体験になったからね。TikTokがきっかけになったのはスゴくうれしく思ってるよ。 ーコロナ禍中にバズったわけですから、ライブをやりたくてしょうがなくなかったですか? アイザック 本当にライブをやりたくてしょうがなくて、何とか形にできないかと思ってたんだよね。すべての成功はコロナ禍中に起こったわけで、実際にそのエネルギーを感じる方法がなかったんだ。それでずっと待っていたら、やっとシカゴでライブをする機会が来たんだ。24時間の間に3本のライブをやって、そのうちの1本はロラパルーザで、1万5000人の観客を前にしたライブだった。初めての経験だったし、ヤバいものになった。 タレック ロラパルーザは僕たちにとって初めてのフェスだった。しかもその前日の夜12時には、僕たちがヘッドライナーのライブもやったんだ。300人規模のライブをやって、その10時間後には大きなステージで、1万5000人の観客の前でライブをやったわけだ。