<春に挑む・’22センバツ長崎日大>/上 数々の試練 悔しさ胸に切符つかむ /長崎
2020年秋の九州地区大会。県予選を2位で通過した長崎日大は、あと一歩で夢の甲子園切符を手にできる位置にいた。だが、初戦で宮崎商にまさかの七回コールド負け。打線は2安打に抑えられ完敗だった。当時1年生ながらベンチ入りした河村恵太主将(2年)は「あっという間に終わってしまった。力の差は明らかだった」と唇をかんだ。 長崎日大はかつて甲子園の常連だった。初出場の1993年春から10年までの出場回数は春夏通算11回に上る。07年夏は「がばい旋風」を巻き起こした佐賀北に敗れたものの4強入り。09年には大瀬良大地投手(現広島)を擁し、菊池雄星投手(現大リーグ・マリナーズ)がいる花巻東(岩手)と激闘を演じるなど鮮烈な印象を残した。だが、10年夏を最後に聖地から遠ざかっていた。 それだけに、選手たちの悔しさもひとしおだった。当時就任3年目だった平山清一郎監督(42)は「強豪校は九州地区大会に臨む姿勢が全く違った。野球に対する取り組みの甘さを痛感した」と振り返る。 現2年生にとってもう一つ忘れられない試合がある。20年秋に開かれた1年生大会の1回戦で、チームは島原工に敗退した。同大会での初戦敗退は創部以来初めてのことだった。「どこかに勝てるという過信があった」と河村主将。1年生全員に「自分たちは弱い学年」という自覚が芽生えた。 悔しさを胸に、選手は打撃力のアップに力を入れた。体全体を使った打撃フォームを固めるため、ティー打撃など普段の練習で通常のバットより1・3倍重いバットを使用。さらに状況に応じてコースや球種を絞るなど考える野球を徹底した。成果は着実に現れ、春の県大会では1試合平均9得点と打線が火を噴いて4強入りを果たした。 だが、試練は再び訪れた。新型コロナウイルスの影響で2年ぶりの開催となった夏の高校野球選手権長崎大会の3回戦で、シードの長崎日大は壱岐に完封負け。自慢の強力打線は影を潜め、何も手を尽くせないまま夏が終わった。 整列後に泣き崩れる先輩たちの姿を目の当たりにした選手たち。「俺らの分まで頼んだ」と前主将からバトンを託された河村主将は「俺たちの代で必ず甲子園に行ってみせる」と心に誓った。 ◇ 3月18日に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開幕する第94回選抜高校野球大会(毎日新聞社など主催)に長崎日大が出場する。23年ぶりの春切符をつかむまでの軌跡をたどる。【長岡健太郎】 〔長崎版〕