「悪人も良い行いをするし、善人でも悪いことをする。それが現実」──映画『対外秘』監督イ・ウォンテの言葉
マ・ドンソクを主役とした『悪人伝』で注目を集めたイ・ウォンテ監督の最新作『対外秘』が公開される。悪と悪が対峙した前作だったが、本作では正義とは何かを問いかける。『対外秘』で描きたかったという悪人と善人、世の中のリアル、また旧友イ・ソンギュンについて話を訊いた。 【写真を見る】90年代の釜山を見事に再現した映画『対外秘』
混ざり合う善と悪
1992年、釜山。地元・海雲台〔ヘウンデ〕で絶大な人気を誇るヘウン(チョ・ジヌン)は、与党公認を約束されて、国会議員選挙に立候補することに。しかし政界を牛耳る黒幕スンテ(イ・ソンミン)が、自分の言いなりになる男に公認候補を変更。リベンジを誓ったヘウンは、切り札となる極秘文書を入手し、ギャングのピルド(キム・ムヨル)の協力を得て無所属で出馬する。この選挙を皮切りに、壮絶な権力闘争の幕が開く──! 『対外秘』は、腐敗政治というシリアスな問題を扱いつつ、躍動的なアクションと二転三転するパワーバランスで、最後まで目を離せないエンタテインメントになっている。監督はヒット作『悪人伝』(2019)で知られるイ・ウォンテ。東京国際映画祭での上映に合わせて来日した彼に話を聞いた。 ──『対外秘』ではイ・ウォンテ監督の名前は脚本にクレジットされていませんが、脚本も手掛けた前作の『悪人伝』と、テーマが共通していると思えます。『悪人伝』では、連続殺人犯逮捕のために手を組んだ刑事とヤクザが、だんだんと一体化していきます。こちらでは気のいい政治家とヤクザが手を結び、最後には「全員悪人」のような状態になりますね。 わたしは明るく美しい物語よりも、ときに卑劣で残酷だったりする物語を、この世の現実を描きたいと考えています。わたしの映画ではいつも善と悪が混ざり合い、何が善で、何が悪なのかわからなくなります。善人が悪事を働くこともあれば、その逆もある。『悪人伝』でマ・ドンソクさんが演じたチャン・ドンスという人物は、確かに悪人なのですが、観客はいつの間にか彼を応援するようになります。なぜ応援しているのかと、ふと矛盾を感じたりするでしょうが、それも現実だと思います。 もうひとつ、わたし自身を例に出すと、わたしは自分では模範的市民だと思うのですが、利己的だったり偽善者だったりするときもある。誰にでもそういうところがあると思います。普段からそのような考えで生きているので、作品にもそれが反映されるのですね。 『対外秘』では、もともとは善人の側にいたヘウンが、生死の岐路に立たされたところで悪のほうへ向かう。良心も信念も捨てて堕落してしまうのに、それが社会的には上昇につながる。ここにも矛盾や不条理がありますが、これもまた人生のリアルな姿ではないでしょうか。 ──映画はヘウンのクロースアップから始まります。終盤、スンテと対峙するときの彼のクロースアップは、冒頭のそれとは明らかに違う表情になっていて、そこにヘウンの変化が表われているわけですね。チョ・ジヌンさんの演技はもちろんのこと、撮影や照明にも変化を表わすための工夫がほどこされています。ところで、この映画ではクロースアップが非常に印象的に使われています。いわゆる超クロースアップ、つまり、顔の一部だけを拡大するようなショットも多用されます。 まず、わたしはそういう極端なクロースアップが好きなんですね。強烈な印象を作り出せるからです。観客は人物の感情に吸いこまれるような感覚をおぼえるだろうと思います。俳優の立場からすると、こうしたショットはかなりの心理的負担になるだろうと思うのですが、必要なときには勇気をもって、超クロースアップを使うことにしています。 冒頭のクロースアップと終盤のクロースアップは、確かに見せ方をまったく変えています。衣裳にもこだわりました。ヘウンは最初は正体不明という感じでグレーを着ているのですが、だんだんダークになっていきます。濃いブルーになり、やがてはブラックになる。普通の人が権力を持ち、悪の巣窟のなかに入っていくとどうなるかを見せようとしての選択です。 ■3つの世代を象徴する人物たち ──ヘウンに対して観客はさまざまな思いをもつだろうと思いますが、彼以上に共感を集めるのはピルドではないかと思います。『悪人伝』で刑事役だったキム・ムヨルさんがヤクザのピルドを演じているのも面白いのですが、ピルドはヘウンよりも行動原理が一貫しており、ある意味純粋で、いつの間にかわたしたちは彼に感情移入してしまいます。 いまのお話を聞いて、今回、キャラクター造形には成功できたかなと思いました。ピルドは30代で、主要人物3人のなかではいちばん若い。怖いもの知らずのところがあり、何でも思いどおりにできると思っている。そして、まだ純粋なところがあるから人を信じてしまう。 実際に物理的な暴力をふるっているのはピルドですが、ほんとうに恐ろしいのはスンテです。彼は直接手を下さず、見えないところで暴力をふるっている。ピルドは暴力的だが人間的であるのに対し、スンテはそうではない。スンテは、韓国では「既成世代」という言い方をするのですが、ちょっと上の世代ですね。その世代が、若く純粋なピルドを思いどおりに操ってしまう。ということは、既成世代の行動によって、よい変化も起こりうるということでもあるのですが……。 ヘウンは40代という設定です。人生のなかで最も大きな転換点を迎える世代だと思います。社会の中間ぐらいの位置にいて、選択次第では、そこから上昇もすれば下降もする。ヘウンの立場と行動は、それを象徴するものになっています。というわけで、ピルド、ヘウン、スンテはそれぞれ30代、40代、50代と、世代的にも綺麗に分かれています。この3人でトライアングルを構成するようにしました。 ■1990年代の釜山の風景を求めて ──すると、ヘウンの家が階段沿いにあるのは、上昇と下降の岐路にある彼の状態を表わしているようでもありますね。 あの家にした理由はいくつかあります。ヘウンは家に帰れば妻も子どもも、自分の母親もいる。妻からすれば夫は夢ばかり追っているように見える。あんなふうに階段を上らないと家にたどり着けないことで、ヘウンが日常的に感じているつらさを表わしたいと思いました。 また、彼の上昇志向も見せたかった。家にたどり着いて庭に出ると、釜山の海が眼下に広がっています。全部上りきったときにあの風景が見えるという流れにしたかったのが、ふたつ目の理由です。 それから、あの家をずっと下から見上げるように撮ると、階段の先にすごく小さく映ります。上り詰めるのに大変な苦労がともなうのだということも、表現できると思いました。実はあの家を探すのにはほんとうに苦労したんです。韓国の海辺の町をあちこち回って、結局釜山で見つかったんですけれどね。 ──あの家以外にも、ロケ地を探すのは大変だったのではありませんか。 ほんとうに苦労しました。実際に釜山で撮ったシーンは30パーセントぐらいです。90年代の面影が残っているところがほとんどなかったので、江原道〔カンウォンド、韓国北東部の行政区画〕や全羅道〔チョルラド、韓国南西部の行政区画〕、麗水〔ヨス〕や巨済〔コジェ〕にも行って撮影しました。 ■友人イ・ソンギュンのこと イ・ウォンテが演出を手掛けたテレビシリーズ『ペイバック ~金と権力~』(2023、日本ではAmazon Primeで視聴可能)も、立場の違う者たちが手を組んで目的を果たそうとする物語であり、権力の腐敗が扱われていて、監督の一貫した問題意識が感じられる。主演は昨年12月に亡くなったイ・ソンギュン。彼の死に関する真相究明と再発防止を求め、いわゆる「イ・ソンギュン法」の制定を呼びかけた映画人に、ポン・ジュノらと並んでイ・ウォンテも名を連ねている。 ──イ・ソンギュンさんは日本でも非常に人気のあった俳優です。彼がどんな人だったか、少し教えていただけますか。 世界的に有名な大スターでありながら、とても人間味のある気さくな人でした。子どものようなところもあって、ちょっとしたことにも大喜びをする。あまりに純粋なので、少し気をつけたほうがいいんじゃないかと言ったこともあるぐらいです。わたしのほうが年長なので、よく相談もされました。わたしには息子がひとりいて、彼には息子がふたりいるのですが、「こういうとき息子に対してどうしたらいいんだろう」といった相談です。 彼は冬になると、アディダスのダウンのロングコートを着ていたのですが、それをもう20年も着つづけていたんですよ。ところどころ破れて、ダウンが飛び出したりもして。それで「新しいのを買いなよ」と言ったら、「いや、どうして買う必要があるんですか? 着ていて楽なんですよ」と。そんな光景がいまも頭に浮かびます。欲のない、飾り気のない友人でした。 『対外秘』 11月15日(金)シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷 他全国公開 配給:キノフィルムズ 著者プロフィール:篠儀直子(しのぎ なおこ) 翻訳者。映画批評も手がける。翻訳書は『フレッド・アステア自伝』『エドワード・ヤン』(以上青土社)『ウェス・アンダーソンの世界 グランド・ブダペスト・ホテル』(DU BOOKS)『SF映画のタイポグラフィとデザイン』(フィルムアート社)『切り裂きジャックに殺されたのは誰か』(青土社)など。 取材と文・篠儀直子 編集・遠藤加奈(GQ)