二十歳のとき、何をしていたか?/土井善晴 〝あかんたれ〟を、直さなあかん。 スイスの五つ星ホテルの厨房に入り、 掴み取った自立への第一歩。
日本料理もフランス料理も、 世界最高峰にある思想は同じ。
夏のバカンスシーズンは、チューリッヒのレストラン「フィッシャーズ・チューブ(漁師の家)」で外国人労働者に交じって仕事をした。初めて給料をもらえたことが嬉しかった。何もできなかった自分が、アパートを見つけ、自炊をし、仕事を見つけられるまでになっていたのだ。自立の一歩を踏み出し、1年間の留学を終え帰国すると、神戸の『ビストロ・ド・リヨン』で働いた。 卒業後はそのオーナーシェフ山崎氏の紹介でフランスのリヨンへ。現地の長老的存在であったグランシェフ、マルク・アリックス氏の家でお世話になり、三つ星レストラン『ポール・ボキューズ』など数々の厨房で研修させてもらった。’70年代のフランスでは、ヌーベルキュイジーヌという新しい料理の時代が始まっていた。日本料理の影響を受け、クラシックなソース重視のスタイルからガラリと変わり、日本同様、素材を重視するようになっていたのだ。 「和食は“素材を生かす”ものと誰もが考えていますが、結局、世界最高峰にあるものは同じだと思いました」 新しい料理が次々生まれる、フランス料理が最も輝いた時代を体感し、24歳で帰国。土井さんは父のアシスタントとして料理学校で仕事を始めた。ある時「漬物を盛りなさい」と言われたが、何をすればよいかわからない。その手立てを持たない自分がショックで、すぐに日本料理屋で修業をし直そうと決めた。特筆すべきは、大学時代に「厳しい環境に身を置かなければ」と思ってから今に至るまで、土井さんは進むべき道筋をたったひとりで選んできた。何が自分に必要かを自問し、即座に行動してきたのだ。 「昔から、わからないことがあったらわかるまで何日でも考えるんです。一週間、何か月、何年も疑問を心に持ち続けると、ある時、確信的にわかるんです。時間はかかっても、自分で納得できないと先に進めない。最近は『損得で判断するとよい』なんていう文化人もいるけど、それじゃ正しい判断はできないでしょ。単純に考えても、人生に関わる大きな損得と目前の小さな損得がある、深度も軽重も違うのに、一緒くたにしてしまう。経験の少ない若者を騙すことになる。若い人に対してとても失礼だと思うんです」 二十歳だった頃から、40年以上が過ぎた。でも土井さんの感覚は今なお自由だ。 「この間もね、トーストに桃をのせてXに投稿したら驚かれて。不思議ですね。フランス人はまな板を目の前に置いて、ナイフとフォークで肉や野菜を食べやすく切り、素材を重ねて塩やソースを付けて、“料理しながら食べる”んです。つまり食事がクリエイションの発露になる。現代の日本は、何がいいか悪いかわからない、信頼できるものがなくなった時代。だからこそ、正しい答えを導く“土台”を自分の中にしっかり持つべきで、そのためには経験することです。食事とは何か、肝腎要の“土台”を身につけていれば、判断できる。そうなってはじめて料理は、そして自分は、自由になれるのです」