イチローが愛する野球を通じて伝えたかったものは何だったのか?
イチローを敬愛するゴードンのヒーローインタビューも終わりグラウンドにもう誰もいなくなっていた。もうその頃、イチローは米メディアだけの囲み取材をクラブハウスで受けていた。試合は延長12回にもつれ時刻は23時を過ぎようとしていた。だが、東京ドームのイチローを愛してやまない多くのファンは、そこを動かなかった。やがて「イチロー!」「イチロー!」と叫ぶ“カーテンコール”がドームを包む。その声はイチローにも届いていた。 イチローは、三塁側ベンチからグラウンドに出て、手をふり、その声援に応えた。イチローは、一人一人のファンにサヨナラの挨拶をするために三塁フェンス沿いからレフトへ向かって歩きはじめた。場内を一周したイチローは、マウンド付近で帽子を脱いだ。 「ゲーム後にあんなことが起こるとはとても想像していなかったが、実際にそれが起きた。結果を出して最後を迎えられれば一番いいと思っていたが、それが叶わなかった。それでも、たくさんの人が球場に残ってくれて……もちろん死なないですが、死んでもいいというのは、こういう気持ち、こういうときなのかなと思った」 死んでもいい……イチローは、予定調和も何もなく、ただファンの熱い気持ちが作ってくれた最高の引退セレモニーをこう表現した。 「イチローが第一線を退くことを球団に伝えた」という共同通信発のニュースが流れたのが午後7時過ぎ。試合後に会見が行われるという続報が出たのが午後8時半。そこに引退の2文字はまだなかったが、ファンは、この試合が偉大なるヒーローの引退試合であることを察知していた。 イチローは、今日と言う日の感動を味わえたことに比べると、メジャー19年で打ち立ててきた数々の金字塔は「小さなことに過ぎない」とまで言った。 何のために野球をやるのか。根本的な価値観である。 「最も特別な瞬間だった。あるときまでは自分のためにプレーすることがチームのためになるし、応援してくれる人も喜んでくれると思っていた。ニューヨークに行った後くらいから人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきた。ファンの方々の存在がなければ、自分のエネルギーは生まれなかった」