彼女はなぜポルノ映画館で働き、客の男を尾行する? 男女の力関係が“逆転”した場で気づいた「私のほんとうの欲望」
“男の世界”にたったひとりで乗り込んだ彼女の行く先は……
クリスティーンは、男たちがこれまで映画のなかでやってきたことを、今度は自分が主人公となって実践してみせる。にわか探偵となってある男の後ろ姿を追いかけるのは、『めまい』(1958)をはじめ、男が謎めいた女の後ろ姿を追いかける、数々の映画の模倣だろう。 ひとりで場末のモーテルに泊まり、暗い夜道を早足で駆け、行ったことのない場所にもどんどん足を踏み込んでいく。ビールを飲みながら猥談をする男たちのように、馴染みのバーで、金や男をめぐって女同士のあけすけな話を繰り広げたりもする。 男性が男性のためにつくった場所に女性がひとり加わるだけで、それまでとまるで風景が変わって見えるのが面白い。ネオンが輝きヌードの女性の写真がベタベタと貼られたポルノ映画館は、赤や水色のセーターにパールのネックレスをつけたクリスティーンの登場によって、見たこともない魅力的な空間に早変わりする。真っ赤な光で覆われたポルノショップも現代アートのギャラリーのようになる。 そうやって未知の空間に足を踏み込み、冒険をすることで、彼女が徐々に変化を遂げていくのがよくわかる。自分は男に見つめられたいのではなく、男を見つめたいのだ。話を聞かされたいのではなく、自分の話を語りたいのだ。これは、彼女が自分の本当の欲望を発見し、主体性を取り戻すまでの物語だ。 だが、男性しかいない空間に女性がひとり足を踏み込むことには、いつだって危険がつきまとう。何より、あたりに氾濫するポルノグラフィは、徐々に彼女を妄想の中へと引き込んでいく。尾行行為に夢中になり、ありえない物語を空想するうち、現実と夢の境目はますます曖昧になっていく。 それでも、私はクリスティーンの冒険の行き着く先を、どこまでも見つめていたいと思った。彼女は、男たちのなかにたったひとりで乗り込み、不協和音を立ててみせた人なのだ。たとえここに描かれるすべてが彼女の妄想だとしても、彼女が語りたい、誰かに聞かせたいと願う物語に、わくわくせずにいられない。
月永理絵