【能登半島地震】支援・救助を阻む大きな段差 3メートルの大岩が道路に…古川アナが見た発生直後の被災地
能登半島で最大震度7を記録した地震。1月1日の発生直後から5日間に渡って取材を続けたABCテレビの古川昌希アナウンサーに、現地に到着するまでの道路状況や実際に目にした被害などについて話を聞きました。
使える道路を模索しながら…通常2時間の道のりを7時間かけて向かった
古川昌希アナウンサー: 金沢市内に入ったのが1日の午後10時半から11時ぐらいで、最終的には輪島の朝市通りを目指しました。 石川県を移動する場合に大動脈となるのが、日本海側を走る「のと里山海道」と呼ばれる道路ですが、地震の影響で路面が荒れてしまって使えない状態でした。 金沢市内から内陸の方を通りながら、能登半島の七尾市に向かったのですが、いろんなところで行き止まりに出くわしました。志賀町では、私のみぞおちぐらいまでの大きな段差を発見しました。きのう使えた道路が、土砂崩れや道路の陥没で行けなくなっていることもありました。
また、穴水町の山間の道路が特に陥没や落石が多く、3メートルぐらいある岩が車線をふさいでいるため交互通行に。 現地の方々や消防関係者、救助に関わる人たちも、どの道路が使えるのか探している状況でした。 金沢市から輪島市中心部までの所要時間は通常大体2時間ほどですが、この日は到着まで7時間もかかりました。
Q.道路状況の復旧は?
本当に時々刻々と、すごいスピードで事態が進んでいました。 私が輪島に入ったのが1月2日と1月4日の2日間なんですが、2日に使えなかった道路が、4日には亀裂に小石や砂を混ぜたセメントのようなもので補強されたり、スロープのようにして車で乗り越えられるように施してあったりしているところが数十ヵ所ありました。
Q.携帯電話の利用状況は?
つながるかつながらないかは本当にまばらで、輪島の朝市通りは携帯電話がつながるんですが、少し離れた場所では市街地でもつながらなかったり、見た目でわからない状況でした。 金沢市内に取材拠点を置いて、現場と行き来していました。金沢市内の物流は少し滞ってはいたものの、電気・ガス・水道・携帯電話等のライフラインはしっかり通っていました。