「青いラベル」の焼き肉のたれ、パッケージを変えると売り上げ8倍 パッケージマーケティングの力とは
「売れる商品パッケージ」を提案する「パッケージマーケティング」で注目を集める株式会社パッケージ松浦(徳島市)。父が創業した会社を引き継いだ長男の松浦陽司氏は、赤字経営からの脱却と会社の改革に挑んできた。パッケージを変えると、売り上げが大きく伸びることに注目し、高付加価値のパッケージで売り上げとブランドに貢献する「パッケージマーケティング」を確立した。会社の変革を進めた経緯や、パッケージの力について、松浦氏に話を聞いた。 【動画】専門家に聞く「事業承継はチャンスだ。」
◆経営改革と社風の改善に取り組む
----パッケージ松浦に入社してから社長就任まで、どのような仕事をしたのですか? 大手パッケージ企業を経て2002年に入社し、営業を頑張っていました。 でも、なかなか成果が出ず、営業部長に怒鳴られる日々。だんだんパッケージ自体が嫌いになっていて、仕事も嫌になっていました。 それが2003年、ある人に勧められて日本創造教育研究所の2泊3日研修に行き、「今、起きていることはすべて自分の責任」という言葉に衝撃を受けました。 営業できないのは営業部長のせい、苦しいのは両親が家業に呼び戻したせい。 すべて他人のせいにしていました。それではいけない。 いずれ家業を継ぐのだから、嫌がっていてもしょうがない、と腹を括るきっかけになったのです。 2004年からは月2回、土曜日の出勤日に朝礼をすることにしました。まずは挨拶が大切だ、と思って「おはようございます!」と大きな声で言ったのですが、皆、シーンとしてしまいましたね。 あとはしゃべることがないので、「松下幸之助さんの本にこんなことが書いてありまして…」などととりとめもない話をしていたのですがが、まったく手応えがありませんでしたね。 営業部長には朝礼後にいつも呼び出され、「お前、自分にろくな経験もないのに、何が松下幸之助の話じゃ」と怒られていました。 それでもめげずに、次の朝礼時には「おはようございます! 稲盛和夫さんの読んだんですけど…」と話し続け、また怒られる。その繰り返しでした。 ----2005年、正式に社長に就任されますが、どのようなきっかけだったのですか? 営業部長が辞めることになったのです。営業部長は、自分の顧客や売り上げを半分以上持って独立したため、会社は大打撃を受けました。 そこで父が、私に「社長をやってみるか」と。 即、「やらせていただきます」と返事をしました。 この頃から、月2回だった朝礼を毎日始め、会社の空気が少しずつ変わってきました。 ----社長に就任して、まず何に着手したのですか? 決算書を見ると、会社が本当に危機的状況であることに気づきました。 まず、徹底的にコストをカットしました。 固定費では、両親に給料を下げてもらう。社員の休憩所にあった自動販売機を廃止する。 さらに、週に2日ほどしか稼働していなかった「整袋機」という機械を売り払いました。 変動費では、仕入れ金額の削減に取り組みました。 伝統的にパッケージ業界は「頭も値段も下げて売る」という体質が色濃く、しばらく「安く売る営業」から抜け出せませんでした。 でも、社長就任の2005年から現在まで、まだ1回も赤字を出していません。