「カミソリシュート」を武器に巨人打線を翻弄した平松政次氏 大洋ホエールズのレジェンドが語る“巨人キラー”“長嶋キラー”になった理由
甲子園で樹立した連続無失点記録
昭和40年の選抜高校野球大会で平松氏は1回戦から準決勝までの4試合連続で完封。決勝も3回まで無失点で、通算39イニング連続無失点。これは今でも選抜大会の記録である。決勝では延長の末、岡山東商が市立和歌山商業を2対1で下して優勝した。 平松: 記録といいますけど、たまたま私が投げていただけで野手がいたからですし、ファインプレーもなければ… 徳光: ご本人はそう思うかもしれませんけど、やっぱり39イニング無失点というのはすごいですよ。当時からシュートを投げてたんですか。 平松: 投げてないです。ストレートとカーブだけです。だから、すべてラッキーが重なっての記録ですよ。
高校時代に長嶋氏と会っていた?
平松氏と長嶋茂雄氏との最初の出会いは高校3年の秋だったという。 平松: 今はもうないけど、昔は秋に地方でプロ野球のオープン戦があったでしょう。 その年、巨人が岡山に来ていて宿泊先の旅館の娘さんが我々と同級生で、「長嶋さんが来るからおいでよ」って言ってくれて、色紙を10枚ぐらい持っていきました。 もう、本当に震えましたよ。「うわぁ、憧れの長嶋さんだ」って。あのときは本当に夢のようでしたね、長嶋さんと会えて。 徳光: ミスターから何か声をかけられたんですか? 平松: いや、何も。長嶋さんは私が選抜で優勝したということを知らなかったんじゃないですかね。 徳光: そんなわけないですよ。 優勝投手とか、そういう時代の中心人物に関しては、長嶋さんは必ずチェックしてますから。 平松さんが甲子園で優勝したときには、甲子園球児というだけでなく、時の人になってたわけですし。 平松: そうですかね。
ドラフト制度開始にびっくり!
高校を卒業したら巨人に入団するつもりでいた平松氏。しかし想像すらしていなかったことが起きる。昭和40年、ドラフト制度の開始だ。 平松: 9月ぐらいにドラフト制度が発表されたとき、新聞で読んだんですよ。 でも、「ドラフトって何だろう?」。よく分からないから、監督に「これ、どういう意味ですか?」って聞いたら、「今までは自由競争だったけど、ドラフトという制度ができて、くじで決まることになった」と。「僕は巨人に行けないんですか」って聞いたら、「まあ12分の1の確率だな」って言われたとき、エーッ!と思いましたよ。 その瞬間に「巨人にしか行かない」って宣言したんです。 その年の巨人のドラフト1位は、後に巨人V9の中心投手となる甲府商の堀内恒夫氏。平松氏は中日から4位で指名を受けた。 平松: (堀内氏のことは)全然知りませんでした。甲子園も出てませんでしたし。どんなピッチャーなのかなと思いましたね。 徳光: 「巨人でなければプロには行かない」と宣言してたから、2位・3位でも指名されなかった。結局、中日の4位指名を断ったんですよね。 平松: 子供のときからの夢の方が大事だもの。それで、社会人の日本石油(現・ENEOS)に行ったわけです。 2回目のドラフトのときは「平松を1位指名する」ってジャイアンツのスカウトと話ができてたんですよ。他のスカウトからは1回も電話はかかってこない。頭の中には巨人しかなかったです。今度のドラフトはジャイアンツが1位指名してくれると。 なのに、ドラフトの結果を聞いたら大洋だったわけですよ。巨人は立教の槌田(誠)さんを取ったわけですよ。私は外されたわけ。 平松: もうグアーッと燃えましたね。それくらいから、ある意味“巨人キラー”というかね。 徳光: 切り替えたわけだ。 平松: そうです。「巨人、なにくそー」と思いましたね。 (BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/5/14より) 【中編】へ続く
プロ野球レジェン堂
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