「カミソリシュート」を武器に巨人打線を翻弄した平松政次氏 大洋ホエールズのレジェンドが語る“巨人キラー”“長嶋キラー”になった理由
通算201勝のうち巨人戦で51勝
平松氏が挙げた通算201勝のうち51勝が巨人戦。この対巨人勝利数51は国鉄(現・ヤクルト)等で活躍した金田正一氏の65に続く歴代2位の数字だ。 徳光: 勝ち星の4分の1以上が巨人戦ですよ。やっぱりジャイアンツ戦は違ったんですか。 平松: あの頃の巨人っていうのは全国的に大人気でしょ。テレビも中継してくれますね。 例えば、完封でもして勝てば、明くる日のスポーツ紙の一面に「平松が完封」と出る。それが出れば、自分も全国区になるじゃないですか。 こんなこと言ったら失礼ですけど、ヤクルトとか中日とか広島に勝っても一面じゃないんですよ。 徳光: それはいまだに踏襲されてますね。ある一部の新聞では(笑)。 平松: やっぱり全国区になるためには、巨人なんですよ。巨人をやっつけないと、平松の名前が上がらないし、全国区にならない。 ですから、登板の3日ぐらい前からは神経がピリピリしてましたね。 徳光: シミュレーションしたりなんかするんですか。 平松: しますよ。布団に入って目をつむると、「1番柴田はこの前こうだった。2番土井さんはこうだった。3番、4番…」。それがずっと頭の中を巡るわけですね。 徳光: 投げる球をシミュレーションしていくわけですね。 平松: そうです。前回はこのボールを打たれたから…とかね。そんなことをしていると、朝が来る。 でも、寝とかないとやっぱり体力的に持たないからって、仮眠ですね、だいたい。それでもグランドに行ったら神経がピッとさえる。 平松: 巨人戦の前になると、周りの選手は「今日は平松さん投げるから、シーッ」ってなってて、私に絡まないようにしてた。 それだけ集中してたわけですし、周りの人も集中させてくれました。
200勝投手・平松政次を生んだ運命の出会い
徳光: 野球を始めたのはいつからですか。 平松: 子供のときからやってましたよ。 中学1年生のとき、ショートを守ってたんですけど、あるコーチが監督に「あのショートをやってる子はピッチャーをやらせたほうがいい」って言って、それからピッチャーをやり始めたんです。 徳光: 高校は岡山東商。 平松: 当時、岡山県では倉敷工業が伝統あるナンバーワンの学校だったんで、私は倉敷工業に行って甲子園を目指すつもりでいたんです。 でも、中学のときに私にピッチャーをやらせたコーチは岡山東商のコーチで、私の中学の先輩だったんです。中学の練習を見に来てくれて、「平松が来てくれたら甲子園で優勝できる」と言ってくれたんです。 そういうつながりで岡山東商に行ったわけなんです。 徳光: 本当に出会いって大切だと思うんですが、そのコーチとの出会いが本当に大きかったということですね。 平松: まさしく、それしかないですね。
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