悩みを軽くするアタマを作ることはできる…2600年前からわかっている「人生の悩みの本質」との向き合い方
日本は今、「人生100年」と言われる長寿国になりましたが、その百年間をずっと幸せに生きることは、必ずしも容易ではありません。人生には、さまざまな困難が待ち受けています。 【写真】じつはこんなに高い…「うつ」になる「65歳以上の高齢者」の「衝撃の割合」 『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)では、各ライフステージに潜む悩みを年代ごとに解説しています。ふつうは時系列に沿って、生まれたときからスタートしますが、本書では逆に高齢者の側からたどっています。 本記事では、せっかくの人生を気分よく過ごすためにはどうすればよいのか、『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)の内容を抜粋、編集して紹介します。
二千六百年前からわかっていること
新聞の人生相談を見ていると、回答者はまず相談者の悩みに寄り添います。自分の悩みをわかってくれない人の意見など、聞きたくもないと思われるからでしょう。しかし、回答者が悩みを肯定すると、相談者は悩んだことを受け入れてもらえたと感じて、その悩みが解決しても、また別のことで悩むのではないでしょうか。それなら、悩まない体質を手に入れるほうが得策です。 そんなことができるのか。まったく悩まないココロを手に入れるのはむずかしいですが、悩みを軽くするアタマを作ることはできます。それは、「当たり前」の基準を下げることです。 無事これ幸いといいますが、困り事は何もないのが当たり前と思っていると危険です。うまくいって当たり前、理屈通りで当たり前、差別やイジメはなくて当たり前、公平で当たり前、自由で当たり前、安全で当たり前、不正はなくて当たり前、平和で当たり前などと思っていると、危ないです。現実はそんなに甘くないので、当たり前でない状況に直面して、悩まなければならないからです。不条理で不公平で不都合な現実を、理想の状態にしようとするとたいへんです。 私は外務省の医務官としてパプアニューギニアに赴任していたとき、地元の新聞でこんな記事を読みました。首都のポートモレスビーで、唯一、全身麻酔の手術ができる総合病院で、麻酔科が人員不足のため、手術ができなくなったというのです。病気の人には大問題のはずですが、住民は問題を解決するより、そういう状況に慣れつつあると書いてありました。日本でなら大騒ぎになるところでしょう。しかし、パプアニューギニアの人たちは平然と受け入れていたのです。 命に関わることまで受け入れるのはどうかと思いますが、不都合をすべて解決せずにはいられないというのも苦しいでしょう。ある程度のことは解決せずに受け入れる。その「ある程度」の範囲を広げれば、それだけ悩みも解消するということです。受け入れるという解決法は、あらゆる問題に有効ですから。 容貌に悩みを抱えている人は、容貌に重きを置きすぎていると思います。人間の魅力は外見以外にもいろいろあります。 子どもの不出来に悩む人は、生きてくれているだけでありがたいという気持ちを忘れています。 人間関係やお金のこと、さまざまなトラブルで悩んでいる人は、今、健康でいられることのありがたみに気づいていません。 病気で悩んでいる人は、これまでの人生で得たもの、楽しんだこと、よかった経験に対する感謝に気持ちが薄いのではないでしょうか。 そんなふうに考えても、悩みは簡単には消えません。それは何としても現実を変えて、望み通りの状況にしたいという気持ちが消えないからです。 アニメの『手塚治虫のブッダ―赤い砂漠よ! 美しく―』でも、ラスト近くに吉永小百合さんのナレーションで、こう語られます。 「思うがままにならないことを、思うがままにしようとして、人は苦しむのです」 人の悩みの本質は、二千六百年前からわかっていたことなのです。 さらに連載記事<じつは「65歳以上高齢者」の「6~7人に一人」が「うつ」になっているという「衝撃的な事実」>では、高齢者がうつになりやすい理由と、その症状について詳しく解説しています。
久坂部 羊(医師・作家)