「語り芸」を極めた浪曲師、二代目京山幸枝若が吉本興業の歴史で初の人間国宝に
東西浪曲界と吉本興業所属タレントで、ともに初となる人間国宝(国指定「重要無形文化財保持者」)に選ばれた二代目京山幸枝若(70)が認定式を終え、弟子の幸太(30)幸乃(37)とともに記者会見。「古今東西多くの名人の方々がおられたのに私が初とは不思議。しかもこの若さで…。その分、後10年は現役でやれると思うのでしっかり弟子を育てて恩返ししたい」と思いを語った。
1971年、17歳で父の初代幸枝若に入門。福太郎から2004年に二代目襲名。10年に浪曲親友協会会長となり業界発展に力を尽くしている。思い出すのは苦しかった1980年代のMANZAIブーム時期。若手漫才師がどんどん売れっ子になり、逆に世間の浪曲への関心が薄れ仕事が激減。「漫才の連中と夜な夜な飲んでたが、僕だけ金がなくなり一緒に行けんようになった。情けなくて〝辞めよかな?〟と思ったことも。それでも〝今はこないなモンがはやっている〟と劇場の袖で舞台を見て勉強した。吉本の上の方に怒られながらウケようといろいろ試して、おかげで度胸付きました」と振り返った。
浪曲の魅力を「昔はオッチャンがダミ声でうなるイメージ。今では和製ミュージカル。自分でリズムを付けて歌い、人の心に響く物語を演じる。こんなにオモロイ芸はない」と説明。3つの大衆話芸と言われる中で、落語は噺(はなし)家と言われネタは無数、講談は詠(よ)むと言い元本はとてつもなく長い。そして浪曲は曲師の弾く三味線に乗っての節と、啖呵(たんか)と呼ばれるセリフでメリハリを付け語る芸。
人間国宝になってもあくまで大衆演芸としての立ち位置を忘れない。7日昼には大阪のキャバレー「グランドサロン十三」で独演会を開催。「その昔は大阪の千日前や笠屋町のキャバレーでにぎやかに河内音頭をやりました。7日も浪曲だけでなく音頭も聞いてもらいます」と常に観客を喜ばすことに心を砕く。
吉本興業でも来年2月28日夜に本拠地「なんばグランド花月」で認定記念公演開催を決めたが内容は全く白紙。「ありがたいですけど常に昼間の本公演に浪曲を入れてもらえるように皆で努力せなアカン。当日はこれまで浪曲を見聞きしたことのない若い方に来て頂きたい。そのためには漫才や新喜劇の方にも手助けをお願いして面白い内容にしたい」と力を込めた。 (畑山 博史)