余命14ヶ月の「悪性脳腫瘍」と診断された『エンジェルフライト』著者・佐々涼子が綴る“希望の書”(レビュー)
その電話を受信したのは2022年11月下旬のことだった。 「病院で検査を受けたら悪性の脳腫瘍だと言われたんです」 【写真を見る】ドラマ版『エンジェルフライト』では米倉涼子さんが原作に感銘を受け「国際霊柩送還士」を演じる 平均余命は14ヶ月――。 突然の知らせに動揺を隠しきれなかった私とは裏腹に、電話口の本書の著者は、すでに覚悟を決めたかのように落ち着いていた。泣いても喚いても、その運命には抗えないという諦念の表れかもしれない。だが、胸中ではどれほど怖かっただろう。 あの日からちょうど1年後、本書が生まれた。闘病中に、これまで書き溜めたエッセイとルポルタージュを1冊にまとめたのだ。 第1章のエッセイには、著者の作家人生が綴られている。幼少期の著者は、母に児童文学を読み聞かせられて育った。数々の名作を空で言えたほどだというから、「母の教え」が作家としての原点だ。若くして結婚をし、日本語教師などの職を経て40代で作家デビューを果たす。作品は「死」という重いテーマを扱ったノンフィクションが中心だが、その筆は悲しみだけではなく、人間の強さや美しさをも温かい眼差しで描いていた。 私生活でも「死」と向き合い続けた。ある日、母が難病に冒され、父が介護せざるを得なくなった。発症から5年後、その命を左右する選択を迫られる。 死とは一体なんだろう。 その問いは同時に、生きるとは何か、幸せとは何かを自問する哲学でもあった。 答えを探す旅は、第2章のルポルタージュで精神論へと導かれていく。著者は終末医療の取材の最中に行き詰まり、しばらく書けなくなった。そこで思い立ったのが、世界各国の仏教施設やスピリチュアル・コミュニティーを訪ね歩く「巡礼」だ。インド、バングラデシュ、タイ……。各地を巡っての瞑想は、著者の死生観を見つめ直すために、そして書き続けるために必要な時間だった。 行き過ぎた資本主義や競争社会は貧富の格差を招く。SNSによる膨大な情報化社会は、便利さの代償として心の疲弊をもたらす。物質的な豊かさを求めれば求めるほど、さらなる欲望が生まれ、終わりのないレールの上を走り続けなければならない。その先に果たして、夜明けは待っているのだろうか。 戦争は繰り返され、飢餓に苦しむ人々は多い。世の中は理不尽で不公平だ。それでも捨てたものではない。著者は迷いから覚めたように、戻ってきた。あとがきに残されたメッセージを胸に、生きている幸せを噛み締めたい。本書はそう思わせる、希望の書でもある。 [レビュアー]水谷竹秀(ノンフィクションライター) 1975年三重県桑名市生まれ。上智大学外国語学部卒業。ウエディング専門のカメラマンや新聞記者を経て、フィリピンを拠点にノンフィクションライターとして活動中。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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