「もう少し生きたい」直腸がんで右耳の聴力を失っても歌い続ける、山本譲二の分岐点
木梨憲武とのコラボも
当時人気の田原俊彦や近藤真彦といったアイドルたちと、年齢は離れていたが、仲よくしていた。彼らの派手なパフォーマンスに比べて演歌は地味だったせいか、山本に“ふんどし一丁で歌ってほしい”という歌番組からのオファーが……。 「抵抗ありました。オヤジは、歌い手は肌を見せるもんじゃないと言っていましたし。プロデューサーに“北島に言われてますから、できません”と言ったのですが、どうしてもとお願いされて。それでオヤジに聞いてみたら“照れるな、堂々と歌え”と。“おまえが照れると、見ている人が照れる。だから堂々とおまえらしく歌え”と言われて、踏ん切りがつきました」 『ザ・ベストテン』の回想映像では、今も名場面として紹介される。 14回出場したNHK紅白歌合戦でも、型破りなステージがあった。木梨憲武と演歌デュオ『憲三郎&ジョージ山本』を組んで『浪漫―ROMAN―』を歌った'96年だ。 「いちばん楽しめた紅白でした。憲ちゃんが“俺たち新人歌手だから、土下座しながら出ようぜ”って。土下座でステージの床下から電動で上がって、立ち上がると横にオヤジに扮した憲ちゃんがいて。演歌だからってしかめっ面で歌わなきゃいけないわけじゃない。笑顔で楽しく歌ってもいいんだって、憲ちゃんが教えてくれたんです」 『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)に山本が出演したことで生まれたデュオで、北島が作詞作曲を担当。紅白という舞台で、木梨が北島のマネをして歌うという悪ノリだった。 「俺が恐る恐るオヤジに“憲ちゃんが紅白でオヤジのメイクをしたいそうです”と伝えたら“憲にな、思いっきりやれって言っとけ”って。パンチパーマのカツラに鼻の穴を黒く塗って歌った。オヤジも笑ってましたよ。あの年の紅白は、ほんと楽しかった」 この曲は紅白同日のTBS系『日本レコード大賞』で企画賞を受賞した。
74歳になった山本は、今も演歌の枠を超えていく。'23年からスタートした“山本譲二メタル化計画”だ。 「俺は“ヘビーメタルって何?”という感じで、マネージャーがTシャツ作りたいというから、カッコいいのを頼むなと伝えたら、俺の顔がゾンビになってた(笑)」 福山雅治がラジオでホメると、大きな話題に。 「じゃあ、遊び心を貫いてCDも作るかって。50周年だからね。けっこう本気になってやったということがメタル好きな人にも伝われば」 曲のタイトルは『言論の自由』。作詞作曲は盟友の吉幾三。年配男性の自虐と硬派な社会批判が炸裂するハードな曲だ。 「この曲はボーナストラックで、50周年記念曲第1弾は『妻よ…ありがとう』。ホントにいい曲ですよ」 妻というのは、売れる前から同棲していた女性のこと。山本が病魔に襲われたときも、懸命に支えてくれた。 「直腸がんになったときは申し訳ないと思った。案外、簡単に逝くかもと思ったけど、なんとか生かされて今がある。飯は食えず、点滴ばっかりだったけど、もうちょっと生かしてくれねえかな、もう少し生きたい、そう思いました」 山本は腫瘍で右耳の聴力を失っており、満身創痍。それでも歌いたいという気持ちを失っていないのは、妻のおかげだと思っている。 「この世界は夫婦で成り立っていると俺は思うんですよ。妻のために俺は頑張ってきたんだけど、妻のことを忘れていた時期もあるよなって。それでも妻は俺の傘になってくれて、小さな明かりを灯してくれて、一緒に歩いてきたんだよね」 メタルで爆発しながら、妻への感謝を忘れない。 山本譲二はやっぱりカッコいい男なのだ!