大谷翔平選手のホームランを「ムーンショット」 由来は〝月まで届くような…〟じゃない
ロサンゼルスの「変な球場」
1957年にロサンゼルス移転を発表し、名称も「ロサンゼルス・ドジャース」となりました。 ただし、新球場となる現在のホーム球場「ドジャースタジアム」で試合が始まったのは1962年。それまでの1958~1961年シーズンは、車で10分ほど離れた「ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム」で試合を行っていました。 ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムは、昨年に100周年を迎えた、街のシンボルともいえるスタジアムです。1932年と1984年に開かれたロサンゼルス五輪のメイン会場にもなりました。 ただしこのスタジアム、野球場にしては、なんとも「変な球場」でした。 本塁からライト(右翼)ポールまでの距離が134メートルあるのに対して、レフト(左翼)ポールまでの距離は76メートルと、極端にいびつな形をしていたのです。 日本のプロ球団のホーム球場が、本塁からセンター(中堅)まで118~122メートル、両翼94~101メートルであることを考えると、ライトスタンドがどれほど深く、逆にレフトスタンドがどれだけ浅いかが分かります。 もっとも、これほどアンバランスなのには理由がありました。この球場、もともとは大学のアメリカンフットボールチームの本拠地なのです。これを野球場として使うほうに、無理があったというわけです。
逆方向に本塁打連発…いつしか「ムーンショット」
このような状況では当然、レフト方向に打球を飛ばしてホームランを狙うバッターが出てきます。 その一人がドジャースの、ウォーリー・ムーン選手(1930~2018)でした。 ムーン選手は左バッターでしたが、それまでの打撃フォームを改造し、引っ張ってライト方向に打球を飛ばすのではなく、反対のレフト方向へ高々と飛球を放つようになりました。 彼はロサンゼルス・メモリアル・コロシアムを本拠としていた3シーズンに、ホームランを19本(1959年)、13本(1960年)、17本(1961年)と、合計で49本放っています。 野球記録の専門ウェブサイト「ベースボール・レファレンス」によると、そのうちコロシアムでレフト方向に放ったアーチの合計が26本で、実に半数以上を占めています。 いつしか左バッターであるムーン選手の「逆方向」への大きな飛球は、野球記者の間で、こう呼ばれるようになりました。 「ムーンショット!」 そして現在では、これが「大きな当たり」という意味に転じて、大リーグでおなじみのフレーズになっているのです。 偶然とはいえ、ムーン選手の英語のつづり「Moon」と、月のムーン「Moon」のつづりは全く同じです。 そのこともあってか、「ムーンショット」が「月まで届く」ような大飛球のことだと誤解してしまっている人がいるかもしれません。かくいう私も、今回の取材をするまではそう思い込んでいました……。 3月20日開幕の大リーグ。今シーズンはバッターに専念する大谷選手ですが、昨年の44本を超える「ムーンショット」が見られるよう、期待を込めて応援していきたいです。