“子どもたちの笑顔” とともに生きていく 世界的に希な疾患「KAT6A」の3兄弟と母の決意《長崎》
幼いわが子の命をつなぐのに必死の毎日。 当時は、どれだけ医療機関を当たっても「原因不明」と言われるばかりでした。
そのあと誕生した 三男の祥人さん、四男の拓土さんにも、同じような症状が…。
ようやく3人に診断名がついたのは、8年前です。 (永田圭子さん) 「もうそれはほっとしました。これで支援してくださる方たちに、こういう疾患なんだ、こういう病気なんだということを伝えられるものができたっていうのが、一番嬉しかった」
■社会とどう関わっていくのか 支援員さえ気づかない我慢をしている時も
長崎市の生活介護事業所「すみれ舎」。 長男の晴也さんは、週に1、2回通い、家族と離れて社会との関わりに慣れるための時間を過ごしています。
ここでの楽しみはドライブです。 (長男 晴也さん) 「うん、いいよー」 カメラが回り、ちょっぴり緊張気味で落ち着かない様子でしたが…。 目的地の海岸に到着すると、友人の手を引きながらお散歩。
いつしか表情も穏やかに。リラックスしているように見えました。 ドライブから帰ると、待ちに待ったランチタイム。
(長男 晴也さん) 「おいしい、おいしい」 好き嫌いなく、しっかり完食です。
(支援員 門本裕太郎さん) 「1番明るくて頼りになる存在。明るい反面、支援員たちも気づかないようなぐらい我慢して我慢してっていうところがある。頑張りと、頑張りすぎなくていいっていう境目のところを見極めながら、一緒に楽しく生活していきたい」
(永田圭子さん) 「ちゃんと思春期も来るし、自分のことをわかろうとしているんだろうな。難しいというよりは、成長しているんだとうれしくなる」 帰宅後の祥人さんは、学校で描いた絵をほめられ、ご機嫌でしたが…。 すぐに2階へ。
拓土さんはというと、部屋の隅に。疲れからか泣き出してしまいますが、なだめられて、洗濯物をカゴに入れます。 片づけを終えるとゲームやお絵描きを楽しみ、だんだん笑顔が出てきました。 すると、今度は晴也さんが帰宅。 永田さんの力になろうと、率先して家事を手伝ってくれました。