「14年もの間、娘が生きているかどうかすらわからない」連れ去り被害はこうして起きる。共同親権「推進派すら真向から大反対する」新法案の大問題
「いまでもこの季節がくると、心がどうしようもなくざわざわします」。こう語るのは、総務省入省後、高槻市副市長、那須塩原市副市長、政策研究大学院大学准教授、多摩大学客員教授などを歴任してきた渡辺やすゆき先生(52歳)。 2010年のGW明けに突如として「子どもの連れ去り」の被害にあい、その後身に覚えのないDVによる出頭命令を受けました。
14年間、娘が生きているかどうかすらわからない…非常によくある「連れ去り被害」
「当時私は37歳、高槻市副市長の任にありました。大学に通う妻を東京に残して、2歳の娘と2人で高槻市での生活を本格的に始めて3か月めでした。GW中は妻も高槻にきて久しぶりに家族3人で楽しく過ごしました。GW明けはいつも通り娘を保育園に送って出勤、夕方に迎えに行ったら、『奥さんが連れて帰りましたよ』と。そうか、言ってくれればいいのに、ありがとうと思いながら帰宅して、ドアを開けたら家の中がも抜けのからでした」 一瞬、何が起きたのかがわからず、妻(当時)の携帯に電話をかけましたが、電源が切れています。妻の実家に電話したところ、義母がひとこと「孫は絶対に帰しません」。娘さんの日用品の多くが持ち去られていることに気づいてからは、ああ、これが連れ去りかとじわじわ実感がわいたそうです。というのも、出産で退職した国際支援の仕事への復帰を目指す妻が、娘を連れて元の勤務先に戻りたいと主張するため、相談を続けている最中だったから。 「元勤務先がどこかは申し上げられませんが、赴任地の多くが危険な場所。民族間で虐殺を行う国や、無政府状態の国、軍事衝突を繰り返す国など、教育どころか、命の保障も危うい国です。しかも勤務中は娘をメイドに預けておくと言うので、親として賛同いたしかねる。海外でキャリアを重ねることは応援するし頑張ってほしいので、婚姻を継続させてもよいし、望むならば離婚してもいい。離婚する場合も娘が物心ついて状況を理解できるまでは不都合のないようにする、帰国時の家も保障するし娘との交流も当然認めると文書にしたところでした。その文書を見て、妻は『考えさせてほしい』と。でも、じつは妻の側が1か月前から弁護士と共謀して連れ去りの計画を立てていました」 たとえば、GW中のある朝、元妻が突如として窓の外に向かって「助けてください!誰か警察を呼んでください!」と叫び始めたそう。渡辺さんは困惑しながら自分で警察を呼び、事情を説明したそうです。 「あとからわかったのですが、これは警察に『DVがあったと主張している』と調書を書いてもらうための行為でした。妻はその2日前くらいに病院に行き、DVによるストレス性腸炎であるという診断書も取っていました。全て裁判で使うための証拠作りです」 これら一連の行動は連れ去りを指南する「離婚専門弁護士」に指導されるのだそうです。この国では現状、連れ去った側が裁判所で親権を取れるため、親権獲得を相談された場合は心ある弁護士であっても同じように答えざるを得ないとのこと。 「でも、警察を呼んだ翌々日は3人でハイキングに行き、その翌々日には一緒にお祭りに行っています。連れ去りの直前に油断させるために仲良くしておけという指導でしょうが、本当に申し立て通りのDVが起きていたなら、こんなに仲睦まじい写真の残ったレジャーは理屈に合いません」 妻側の申し立てからは虚偽DVの痕跡が透けて見えるいっぽう、渡辺先生の側は離婚という言葉が出たあとも一貫して娘さんのために共同監護の準備をしており、家裁の裁判官からも「改正民法766条の立法趣旨に沿った極めて誠実な態度である」とお墨付きをもらったそう。 「そのため、なかったDVをなかったと証明するのは悪魔の証明と呼ばれるほど難しいのですが、地裁においては私に対する接近禁止命令も出ませんでしたし、離婚訴訟でも家裁でDVは無事なかったことが認められ、娘の親権者を私とする画期的な判決がでました。なのに、高裁では妻の側が31人にも及ぶ弁護士を立て、DVは引き続きないとされたにもかかわらず、家裁の判決はひっくり返されて親権は妻とされました」