「あの人は…」…デイサービスに通い始めた認知症の元東大教授を深く傷つけた「残酷すぎる一言」
デイサービスになじめない
ところが、通い始めて3ヵ月ほど過ぎたころから、時折、暗く険しい顔つきが目立つようになりました。ついにある日、送りのデイ職員から、 「今日は職員の髪をひっぱりました」 という報告が――。 「どうしたの?何があったの?」 尋ねても、晋はうつむいたままです。それでもしつこく問うと、たどたどしくはありましたが、彼の言葉からようやく事情がつかめました。同じデイを利用するお年寄りから、「あの人は何もできない」と言われたそうなのです。 「それくらいのことで、落ち込んじゃだめだよ」 「落ち込んじゃいけないね」 ――そう言う晋は、しかし、うなだれたままです。 「もう、無理して行かなくていいよ。行きたくなかったら、やめていいんだよ」 私はたまらずこう声をかけました。ケアマネジャー経由でデイに聞いても、「悪口」があった事実は確認できませんでしたが、こうして晋は、初めてのデイを去ることになったのです。この時期の晋は、ふだんから「何もできない」ことを気にしていました。 小さな悪口にみえるかもしれませんが、本人にとっては「無能」の烙印を押されたようなもので、何にもまして屈辱的だったのではないでしょうか。実際、デイでの一件は、彼の中でずっと尾を引いていたのです。 ある夜、布団に入った晋が言います。 「僕は何もできない」 「何もできないのが病人じゃない?でも晋さんは散歩にも行ける。電車にも乗れる。歌も歌えるじゃない」 「ありがとう」 でも、苦しさは深く心に刻みこまれるのだと痛感した出来事でした。 『「人がちがう!」「僕は一人でやってるの!」認知症の人の“不可解な言葉”に隠されていた「本当の気持ち」とは』へ続く
若井 克子