【バレー】石川真佑「イタリアでの経験をプレーで出す」パリ五輪出場権をかけて運命の大一番
バレーボール女子日本代表がパリ五輪出場権をかけて臨む最後の戦いが幕を開ける。「買取大吉 バレーボールネーションズリーグ2024福岡大会」の初戦韓国戦が12日、行われる。 残り5枚のパリ切符の行方は、この予選ラウンド(R)最終第3週終了後の世界ランキングで決定。今季イタリア1部セリエAで戦い、大きく成長した石川真佑(24)が、大一番に挑む覚悟を示した。【取材、構成=竹本穂乃加】 ◇ ◇ ◇ 「まず切符を取らないと五輪に出られない。この大会でしっかり結果を出して出場権をつかむことは、もちろん目標。そして、その先につながる試合がVNLだと思っています」 石川は真っすぐ前を見つめ、パリ、そして12年ロンドン大会以来12年ぶりの五輪メダル獲得への道を思い描いた。中国で行われたネーションズリーグ(VNL)予選R第2週を終え、たたき出した得点数は118。チームではエース古賀に次ぐ2位、全体でも9位の攻撃力で、確かな成長を示してきた。 かみしめた悔しさが進化への導線になった。昨秋の五輪予選W杯バレー。リリーフサーバー起用が多く、7戦で35得点にとどまった。チームも5連勝からトルコ、ブラジルに敗れパリ切符を逃した。あと1歩。痛感したのは勝利への執念の差。自戒を込めて言った。 「1点に対してのアグレッシブさやあきらめずにボールを追う姿勢。劣勢の場面でのそういった部分が、海外の選手の方が上回っていた。勝つっていう気持ちが強かった」 その差を乗り越えるため、世界最高峰イタリア挑戦を選んだ。 「不安な気持ちもありましたが、やっぱりうまくなりたい気持ちが大きかった。もっと強くなりたいと思ったのが一番のきっかけ」 4年間過ごした東レから、セリエAフィレンツェに移籍。体格差、技術差、そして言語の壁にも、真正面からぶつかってきた。 「最初はストレスを感じたりもありましたけど、でもその1つ1つが自分に必要なことで、学ぶことができた。イタリアでのプレーを選んでよかったなと思ってます」 身長の差は「相手のブロックを利用したり、プッシュフェイントを交ぜたり、揺さぶる」工夫でカバー。言葉は「動画やネットで調べたり。空いている時間に出来るだけ取り組む」ことで、コート内外でのコミュニケーションにつなげた。 「たとえばトスを『もう少し高くして』とか、単語でですけど伝えてました。失敗を恐れずトライすることはイタリアでも課題としてやってきて、そこは出来ていたことかな、と」 加入1年目からチーム2位の341得点をマークしたが、それ以上の手応えをつかんだものがあった。 「今までは1点に対して引きずったり、気にすることが多かったけど、ミスしてもすぐに次のプレーに切り替える選手たちの中でやってきたことで、メンタルのところは日本の時から成長したと思います」 21歳で初出場した東京五輪は主力を担いながら1勝4敗で予選敗退。あれから約3年。胸には確かな自覚がある。 「自分のイタリアでの経験を、代表でのプレーで出すことは必要なことだと思います。そして言葉だけじゃなく、行動や変わった姿を見てもらえるように意識しながらやっていきたい」 五輪6大会連続出場へ。パリ切符の行方は、この福岡大会で決まる。 「絶対勝つって気持ちがあれば、絶対チームとしても強い。1つになって戦いたい」 パリを目指す戦いは残り4戦。一丸で戦い抜き、再びあの舞台に立つ。 ○…イタリアでの練習は、基本午前1時間、午後2時間ほどで東レ時代よりも短い。当初は「足りないなとか、やっていない分不安になった」がしっかり順応。「試合前の時間が毎回しっかり取れるわけでもない。環境が変わった時の練習にもなる」と質の大切さとともに、短時間集中のメリットを挙げた。オフの日はカフェに出かけたり、近所を散歩したりしてリフレッシュ。プロ選手として「バレーとの向き合い方は、今までから変わった部分かなと思います」とうなずいた。 ◆石川真佑(いしかわ・まゆ)2000年(平12)5月14日、愛知県岡崎市生まれ。小3時に姉と兄祐希の影響で競技を始め、長野・裾花中で全国大会2度優勝、下北沢成徳高でも日本一に輝く。19年に東レに入団し同年に日本代表初選出され、21年に東京五輪出場。23-24年シーズンから兄と同じイタリアへ渡りセリエAフィレンツェでプレー。24-25年シーズンは同ノバラへ移籍することが発表された。174センチ。