「そんな手で、パーツモデルができるわけないでしょ」とダメ出しも…金子エミ 1年で1000万円稼ぐ売れっ子になるまで
パーツモデルとして30年以上のキャリアを持つ金子エミさん。20歳の頃、手のモデルを目指し、事務所に自撮りの写真を送ってから人生が大きく動き出します。(全5回中の1回) 【画像】「53歳でこの美脚!引き締まった体でガードルのモデルも」現役・パーツモデルの金子エミさん(全27枚)
■クリーニング店のお客さんに「きれいですね」 ── パーツモデルになったきっかけを教えてください。 金子さん:私の実家は、祖父の代からやっているクリーニング屋なんです。20歳の頃、お店を手伝っていたら近所にあるホリプロの方がいらして、「きれいですね」と言うから「スカウト!?」と思ったら、「手が」と(笑)。
私の手は父親の手に似ていて、自分ではきれいだと思ったことはなかったんです。そのとき初めて「私の手ってきれいなんだ」と思って。CMなどで手が出てくるシーンは、手タレさんがやっているという話を聞いて、「ぜひ出てみたいな」と思いました。 それで「写ルンです」で片手の写真を自分で撮って、ふたつの事務所に写真を送ったんです。そうしたら「SOSエージェンシー」から「いらしてください」と電話をいただきました。
銀座にある事務所へ行ったら、白髪の上品なマネージャーさんが応対してくれたんですけど、なんだかそっけないんです。「こんにちは、と言っちゃったからかな、この業界ではおはようございます、なのかな」と思って「おはようございます!」と言い直したら「あなた、そういう問題じゃないのよ、そこにお座りなさい」と言われて。 そのとき私、指輪をいくつかつけていたんです。「その指輪を取ってみて」と言われて取ったら、指に日焼けのあとがくっきりついていました。当時はエアロビのインストラクターを目指していて、日焼けサロンで焼いてたんですよね。
「あなたね、そんな日焼けのあとがある手で、パーツモデルができるわけないでしょ」と言われて、その日は門前払いされてしまいました。 ── それでも、あきらめなかったのですか。 金子さん:私って昔から、逆境にあるほど「頑張ろう」と思えるんです。子どもの頃は器械体操の選手で、宙返りとか車輪とかアクロバティックな技をやっていたせいか、刺激を求めているのかもしれません。恋愛でも、うまくいかなそうな相手ほど頑張って振り向かせようとする、そういう精神の持ち主なんです。